諦めることを覚えた日
ふらーっとtwitter眺めてたら、推し事を諦めるか否かっていう興味深いお話を目にしたので、なんとなく書いてみる。
「推し事を諦めるか否か」なんて凄く主観的にざっくばらんに書いてしまったけど語弊ありまくりだな…詳しくはなんか、調べて(他力本願)
私は考えを述べるのは苦手だから、経験談の方を中心にする。
今の私の推し事ペースは、推しの出演作だけ、月に2〜3回という、ガチな人からしたらめちゃくちゃゆるっゆるなペース。
んだけど、私はこれでほんと丁度良いんですよ。これよりペース上げるのはしんどい。
まず体力や精神力がない。
体力は、そもそも平均睡眠時間が9時間前後なので、8時間くらいは確保しないとしんどい。あとアレルギーがあったり、気圧の変化に敏感だったり。
メンタルの方は、元々神経質マンだから、そもそも出かける時は相応の精神的な準備が必要。そのままだと勇者レベル1初期装備状態なんだよな。それで外出するの無理じゃん。社会はゲームの中みたいに、レベルに適した敵が出てくるわけじゃないから。きちんとレベル上げして装備も整えてボスに挑むのと、予想だにしないところで突然ボスが出てくるのは全く違う。現実世界は後者だから、その不測の事態にある程度対処できるように準備しなきゃいけない。特に私は、雑踏の中で起こる突然の音とか、配慮に欠けた行動を見かけたりとかすると、私自身には全く関係のないことでも不快になったりしやすい。不測の事態が多くなるタイプだ。それらからある程度身を守る対処ができるように準備をするためには、余裕とか、日常的にストレスを軽減しておくこととかが必要なわけだ。そうすると、これ以上現場行くのは私にとって余裕が足りなくなる。
基本的に、自分の状態を推しの(出演やメディア等の様々な)露出に合わせて最適化して、その状態で観たい。じゃないと、表現が受け取りきれないから後悔するし、もったいない。
なので、回数入るより、一定のペースで自分を高めた状態で入って、余すところなく美味しく頂きたい。
そのためには、自分の体力と精神力とよく相談しないとまずい。整えるための力も備えないといけないからね。
次に、お金が続かない。
稼げば良いって考える人もいると思う。そういう価値観で、それが最優先だっていう人なら何も問題ない。
ただ私には合わないっていうだけ。
私の好きなゲームの好きなキャラの台詞に「金を稼ぐ手段なんかいくらでもあるんだよ。子供だろうが、なんだろうが、な」っていうのがあるんだけど(すげー悪い奴みたいだけど安心してほしい。悪い奴だ)
その通りなんだよ。沢山のお金を稼ぐ方法はいくらでもある。
なんだけど、リスクも高くなると思っているし、リスクが高いことをすると私の場合は高確率でメンタルが死ぬと思う。だからやらない。
体力も精神力も限りがある。そこを無理してお金稼いで現場増やしたら、今度は現場に集中出来なくなる。集中するために整える余裕がなくなるし、何ならぶっ壊れて、ぶっ壊れたまま現場行って、大して楽しめなくてイライラして、でもまた無理して…の繰り返しになりかねない。自分でそれが予測できる。
私は現場に集中して余すところなく美味しく頂きたい人なので、集中出来ないならその行動には意味がないと思う。
なので、私は今のペースで十分だなあと思ってるし、一番丁度いい状態だと思ってる。
ただ、こういうのって、全部個人差があると思う。
もっと出来る人も沢山いるだろうし、逆に、もっとペースを落とさないとしんどい人もいる。もっとお金をかけられる人、もっとお金をかけるために並々ならぬ努力を出来る人。
体力、精神力、住んでいる場所、年齢、他にも色々な理由がある。それは、出来るとしても出来ないとしても、全てに反映される。
それらは全部個人差だ。
全ての人間の間に個人差はあるし、それらは全て尊重されるべきものだ。
で、私にとっては今のペースが丁度いい。
私には、これ以上現場に入る努力は、出来ることは出来ると思うけど、かなり無理が出る。私は無理をすると、心身ともに調子を崩す。
風邪を引いたり、アレルギーが出たり。酷く神経質になって細かいことにイライラしたり。
そうすると、私も辛いけど、周りや、推しにもご迷惑をおかけすることになりかねない。
応援ってあくまで趣味で娯楽なので、自分を壊してまですることじゃない。だから私は、無理のない今のペースが良い。
が、生まれながらにしてオタクなので、収集したくなる気持ちはあるし、全通したいと思ったこともある。
だけど、10代の頃別の追っかけ界隈にいた時に、諦めることを学んだ。
当時中学生で、めちゃくちゃ好きなバンドがいた。
CDに円盤、雑誌、ライブのチケット。買いたいのものはいくらでもあった。
でもお小遣いの範囲でしか買えないわけだ。
じゃあどうする?ってなった時に、私はCDを選んだ。
彼らはバンドで、音楽を作って演奏することで表現しているのだから、CDが一番売れて欲しいし聞いて欲しいだろう。私も彼らのその世界が好きだから、それを一番摂取したい。だからだ。
雑誌では彼らの言葉が読める。メディアへの露出は嬉しいけど、それは彼らにとって一番大事なことじゃないと思った。
PVは、たまに買っていたけど、当時の私は映像における表現で心動かされることが殆どなかったので、CDの方が欲しかった。
ライブの円盤もたまに買っていた。でもそもそもライブの円盤はそんなしょっちゅう出なかった。それに、ライブを疑似体験出来るのは楽しいんだけど、円盤見た時に、ライブはライブなんだから生で見るのが一番だ、と気付いてしまった。ので、優先順位が下がった。
そしてライブは、そもそも親から許可が出なかった。そりゃそうだ、幅広い年齢層、それこそ親子二代とかも想定したアイドルのコンサートじゃない。ライブハウスは歌舞伎町、終演も早くて21時ともなれば、中学生が行くには明らかに不適切だ。
そりゃあ、全部買いたかった。でもそれが無理であることも理解していた。
なので、私はお小遣いをCDに使っていた。
それが諦めることを覚えた日だと思う。
高校に入ってからはバイトを始めたし、高校生という肩書きにより多少環境も変わったのでライブ中心になったけど、高校生が稼げる額もたかが知れてるから、関東でやるライブに全部通うので精一杯だった。
関西のバンドだったのでそっちでやる方が多かったし、本当は地方公演も行きたかった。全通したいと思った。
早番で最前入りたいとも思ったし、インスト(今で言うリリイベ?)も沢山行きたかった。
でも、私が高校に行きながらバイトしてライブに通うとなると、関東のライブのチケットを各一枚買って、CDも一枚ずつ買うのでやっとだった。たまに遠征もしたけど、たまにだった。
何日も徹夜して並んだり、大量に買ったりして早番を出す、なんてことは私には不可能だったし、各店でやるイベント全部に行くために同じCDを何枚もは買えなかった。
が、そのために死ぬほど働くとか、高校辞めるとかっていう選択肢は、私には選べなかった。それを選択している人もいたけど、私には出来なかった。
選ばなかった以上、文句の言いようもない。私は、高校に行きながらバイトしてライブに通う、という選択をした。自分でその選択をしたのだから。
だから、あの10代の頃に、私は諦めることを覚えたんだと思う。
そうすると、周りはあまり気にならなくなった。今もそうだ。色んなスタンスの人がいて、でも人間はひとりひとり違うのだから、そもそも比べること事態がナンセンスで、だから周りと比べる必要も、恥じたり羨んだりする必要もない。私はそう思ってる。
自分にとって無理のない範囲で応援すること。他の誰かと比べないこと。自分で決めたのだから、他の人を妬んだり羨んだりしないこと。
私は基本的に諦めが悪いし、ワンチャン狙えるものはなんでも狙っていくタイプだけど、反面、「それが本当に可能かどうか」みたいな、冷静に客観的に状況を考えるようにしている。ワンチャン狙う以前に、それ物理的に無理じゃない?ってこともあるから、そういうことに対して諦めるのは必要だと思う。
あと、これは、その10代の頃に、周りを見てて実感したことなんだけど。
身の丈以上のことをしようとする人は、必ず良くないことになる。
多少の無茶でも、周りから見たらどうであっても、その人にとって無理せず出来ることであるなら、身の丈に合っているから、大きな負担にはならないし、最終的には楽しいで丸く収まる。
私が問題だなあと思ったのは、身の丈に合ってないレベルのことをしようとしてる人は、大抵周りや推しに迷惑をかけるってこと。
例え話をしよう。わかりやすいからお金の話をするけど、絶対全通。絶対グッズ無限回収。とか、人それぞれ基準は様々だろうけど、それが時に、自分の収入を上回ることってあると思うのね。
その時に、「いやーダメだ今回は諦めよ!」って思える人は、健全だと思う。
多少の無茶をしてでも達成する人で、それが最終的に「やってよかった」とか「楽しかった」というポジティブな感情や、得るものがあった場合、それも無理まではいかないと思う。その人にとっての健全の範疇じゃないだろうか。
でも、どうにかして工面して達成する人の中には、「これだけやってるのにどうして私が報われないの」という着地点に至る人が、結構いる。
それは、めっちゃ不健全だな!!!って思う。
話をお金から全体に戻そう。
正直、そういう、並々ならぬことを達成するためには、何かしら犠牲が伴っている。それは時間だったり、体力だったり、お金だったり、良心だったり、下手すると社会的信用を引き換えにしてる例もある。
ここでは、不健全な感情に繋がる行動や考え全般を、「犠牲」と呼ぶ。
犠牲を払ってでも達成したいならすれば良いし、私はそこまでは文句はない。私とは違う生き方があるだけだ。
でも、私が見てきた「犠牲を払ってでも達成する人」のうち半数は、「これだけやってるのにどうして私が報われないの」と嘆いていた。私は度々感情のゴミ箱にされたし、その人たちは推し(だったり彼氏だったりしたけど、ここはオタクのブログなので推しに統一する)にもそれをぶつけ、一番大切にしたいはずの推しを困らせたり傷つけたりしていた。
私から見ると、理解に苦しむ。だって犠牲払ってでも達成するって決めたのは自分だし、推しがそれを頼んだわけじゃないじゃん。オタクがやってることは全部、自分が勝手に決めて勝手にやったことだ。犠牲を払えば自分が苦しむかもしれないし、ケースによっては界隈の人や推し本人にも嫌われるかもしれない。そのリスクは少なくとも考えればわかることだし、それでもやると決めたなら悲劇のヒロインぶるんじゃないよ。
つまり、犠牲を払うにせよ何にせよ、行動するからには覚悟を持てよ、と。覚悟がないならやるな、というのが私の持論。
…なんだけど、そういう人の多くは、その行動を「尽くしている」、あるいは「愛の大きさ」だと思っている。だから、報われてしかるべきだ、というロマンのようなものもあるので、悲劇のヒロインになるわけだ。下手するとリスク自体考えてなかったりする。これだけ愛して尽くしてるんだから、そんなこと起こるわけがない!みたいな。そんなわけあるかい。
私が見てきたそういう女性は、みんな諦めることを知らなすぎるんじゃないかなあと思う。
諦めを知らないから、エスカレートしてやり続けるんじゃないだろうか。
もちろんそれだけじゃなくて、そこに、承認欲求だったり、依存だったり、色々な要素が加わってるんだと思うんだけど。
ただ、自分に無理のない範囲、という線引きの基準をひとつ持っているだけで、自分を制しやすくなると思う。
それを持ってることで、「私が持ってるカードでそれを達成しようと思うと、ここから先は犠牲を払うことになる。私はそうまでしてそれを達成したいのか?」と一度考えられる。その上でどの決断をしたとしても、それでどんな結果になったとしても、納得はできるだろう。
私が諦めるって感覚を常に持てているのも、そういう女性を見てきたからなんだろうなと思う。
申し訳ないけど私は多分、元々相容れないタイプの人だから、見ていて引いてしまうこともよくあった。付き合わざるを得なくて、めんどくせえなと思ったことも、かなりある。
だから、こうはなるまい…と思うんだろうな。
あと、私に女性性が強くないのもある気がする。同調圧力とか、周囲と同じであることに安心する、っていうやつ。私がそれをあまり重視してない(気にはなるけど優先順位が最下位)ので、「推し事の出発点は推しに対する感動でありそこに生まれる好きって気持ちなのであって、周りは知らん!」が全ての基盤。なので手軽に諦められる。
とにかく、ネットとかSNSで、手軽に色んなことを知れる現代、自分の中に柱を持ってるのは大事なことだと思う。他の人の価値観に遭遇した時、揺らいでしまうから。
個体差がある人間なんだから、出来ることにも個人差がある。それなのに一律してランキング付けをすることも、比較することもおかしい。
だから、「あの人は出来ることでも、私には出来ぬ!!!」と諦めることは必要だと思う。
その感覚を常に持っていることも、とても大切だと思う。
人それぞれ、推しにも周りにも迷惑をかけない範囲で、楽しく推し事をしたいものだね。