日々邁進備忘録

色々こじらせたオタクによる、海馬の容量とシステムエラーのために書き連ねるだけの備忘録。

本当に知ってもらう必要があるか

数日前だったと思うけど、某事件の犯人のひとりが再犯をしたそうで。

既に何人もの人が同じこと言ってると思うんだけど、ちょっとご勘弁願いたいことを主張する。

 

その事件は30年前のことだけど、私でさえ知っている事件で、とても人間のやることじゃない、身の毛もよだつ、と言われている、凄惨な事件だ。

私がそれを知ったのがいつだったか覚えてないけど、サラッと聞いて何か知らなくてネットで調べた覚えはある。

調べて、本当に引いた。実際に行われた犯行はとんでもない数で、全てが凄惨だった。

最初の2〜3くらいは覚えてるけど、どこまで読んだか覚えてない。半分か、もしかしたら全部読んだかもしれないけど、記憶に鍵をかけて、めちゃくちゃ深いところに封印してる。あるいは、無意識に忘れたのかもしれない。それくらいむごたらしく、おぞましい内容だった。

 

私が主張したいのは、その事件に限らず、そのようなおぞましい事件についての詳細を、SNStwitterに流さないようにしようよ、ということ。

 

まず、私はその事件に興味がないんじゃない。

きちんと伝え、考えなければいけないことだと思う。

被害者の方や遺族の方を悼む気持ちがないのでもない。

言葉さえ出てこない。

私が言いたいのは、そういったことではない。

 

調べれば、あの事件の詳細はすぐにヒットする。私たちは知ろうと思えば知ることができる。

さて、実際に調べて読んだことがある人はいるだろうか。

最後まで読めただろうか。箇条書きで書き連ねられたあの凄惨な犯行の数々を、動揺しないで読むことができただろうか。そのあと、心身の調子に異常は起こらなかっただろうか。

恐らく、殆ど全ての人が、少なくとも動揺はしたんじゃないかと思う。

そしてその中で、おぞましくて最後まで読めなかった人も、それなりの数いるだろう。

そのあと心身の調子に異常をきたした人も、確実に存在する。

少なくとも、全ての人が恐怖を覚えたはずだと私は思う。

こんなことはあってはならない、二度と起こってはいけないと思うものじゃないだろうか。

 

加害者への怒りや憎悪は、正直、持って当然だ。私たち第三者であっても。

そして、「これはマジでやばい事件すぎるでしょ」と誰かに言いたくなる気持ちもわかる。読んだだけでも、とてもひとりで抱えてはいられないものだからだ。

ネットに載ってる。それも確かにそうだ。ネットに載ってる情報を載せることそのものは、基本的に悪いことじゃない。

 

でもね、想像してほしい。

その情報で傷付いたり具合が悪くなる人がいる。

 

敏感か鈍感かというのもあるだろう。

でもそれ以前に、あの事件はあまりにも凄惨でおぞましいものだった。

多くの人が、あの犯行の数々を読んだ時、気分が悪くなるだろう。不快になるだろう。

そういうものを、自衛の難しいSNStwitterに流すのは、適切な行為だろうか。

確かに知らなければならない事件だと思う。

でも、凄惨な犯行の詳細を知る必要は、果たしてあるだろうか。

例えば、いつ、どこで、誰が、誰に、○○という犯罪行為をされた。それだけで十分ではないだろうか。

例えばテレビのニュースの報道はそれくらいだと思う。ワイドショーとかじゃなくて、ニュースだ。

いついつ、どこで、誰が、誰に、猥褻行為をした疑いで逮捕されました。

それくらいなものだ。情報としてはそれで十分なのだ。どんな猥褻行為かを克明にする必要はないし、被害者のプライバシーというものもある。

そもそも、事件の名前が名前だ。詳細を見るまでもなく、恐ろしい事件だろうことは想像がつく。

それを、自衛の難しいSNStwitterに掲載する必要はあるだろうか。

しかも、現代は子供だってそれらを使うのだ。また、今、被害者と同じ、高校生の女の子が見たら。

 

正直、あの犯罪行為の数々は、箇条書きの文章を読むだけでも、グロ画像を見るようなものだ。そのレベルでおぞましい力を持っている。

それをSNStwitterに掲載するというのは、例えるなら、友達からの自分宛のメールに写真が添付されていて、開いてみたらおぞましいグロ画像だった、くらいの恐ろしさってことだ。

これは自分は耐えられないぞ、と感じて、あえて詳細に触れずに過ごしている人もいる。そうやって自衛をしているのだ。

どうか、そういう人の自衛を機能させて欲しい。

そもそも、自衛している人じゃなくたって、あの犯罪行為の数々が流れてきたら、具合が悪くもなるだろう。

 

その犯罪行為の詳細を知りたい人は、自分で調べれば良い。

それこそ、ネットに載ってるんだから、SNStwitterを見てるその端末で、ちょちょっと調べたら一発だ。

見たい人だけ自分で見る。

あの事件に関しては、それで十分ではないだろうか。

 

オブラートに包まないで言うなら、胸糞悪いことを自分から見たくも聞きたくもないでしょ普通。TLに流れてくるのも嫌だよ。それが普通なんだよ、あれだけやばやばのやばオブやばな事件の詳細なんか、自分から知りたいって人だけ自分で見ておくれよ。殆どの人は怖くて見たくないんだよ。やめてくれよ公開ホラー。公開グロ。

初めて見た時にあまりにグロくてグロすぎて無理だったから触れないようにしてきたのにいきなりTLに流さないでくれ。想像してみてくれよ、あの箇条書きの文章からでさえ、どんな痛みなのか、どんな苦しみなのかをはっきり鮮明に受け取ってしまって、もう何日も調子が悪いんだよ。そういう奴もいるんだよ。そうなってるこっちの身にもなってくれ。それくらいあの事件はグロいしむごいし、本当に、惨劇なんだよ。

本当に、もう勘弁してくれ。

 

流す前に、想像してみてほしい。

沢山の人の前に出すにあたって本当に適切な情報か。

その情報は本当に知ってもらう必要があるのか。

一般的な判断として、人が不快になるものではないか。

お願いだから、想像して、考えてから掲載して欲しい。

それでも本当に知ってもらう必要があると思うなら、せめてワンクッション置いて欲しい。注意書きをして欲しい。

これを機に、どうか考えてみてください。

 

以下、もうちょっと個人的な話。

世の中には、その「マジでやばい」と思った感情を、何倍もの強さで感じてしまう人が存在する。

日常生活でさえ刺激が強く感じる人がいる。

電話の音、子供の泣き声や叫び声、街中ですれ違い様に聞こえる噂話。そんなありふれたものでさえ、触れると疲れてしまう人がいる。

「マジでやばい」どころの話じゃなく、まるで自分がそれを体験しているかのように感じてしまったり、圧倒されてしまったりして、具合が悪くなる人がいる。

繊細ぶってるんじゃない。本当に繊細な人がいる。敏感な人がいる。

日常生活でも、そうした刺激をなるべく感じないように対処したり、上手く調整をしながら過ごしている人が、いるんです。

 

自分が敏感だったり繊細だったりすることをわかっているから、不快になったり傷ついたり圧倒されたりしそうなものは、自分から見聞きしないように生活している人が存在する。

そうやって自衛して生活をしている。

今回のことで言えば、例えば私なら、事件のことは知っていて、概要も知っているけど、「これ以上踏み込んだら耐えられない」とわかっているから、あえて調べずに触れないようにしている。

それを、普通に利用しているSNStwitterで流されたら、もうどうしたら良いのかわからない。

苦手な単語などはミュートすることもできるし、不快なものばかり流すアカウントはブロックすれば良い。

でも、その事件の名前まで先回りしてわざわざミュートしてるか?してない。

むしろ、ミュートしてたとしても、その事件の名前さえ入ってない呟きもあるし、その事件の名前も略されたり少し違ってたりして、弾き切れるわけではない。

本当にお願いしたいんです。

わからなくて良いので、投稿する前に「それは沢山の人の前に出すにあたって本当に適切な情報か」を、一度考えて下さい。

軽率な判断で、不用意に人を傷つけないで下さい。