お洒落したい 〜チケットを握りしめて〜
推しの出演する舞台を観劇する時に、お洒落する人ー!この指とーまれ!
私は推し事の時は自分なりのお洒落をします。
毎回自分史上最高の自分でいられるようにしている。多分こだわりなんだな、そういう。
で、殆どの方が、推し事の時には多かれ少なかれお洒落すると思うんですよ。
なんですけど、なんか物凄く意見が分かれるなあーと思ったので、私の話をします。
そうだよ!このブログは説明や評論が苦手な私が書いている私のためのブログだから、私の話ばっかりするよ!
嫌な人は読まないでね!!!
私の服装やメイク(総合して、ファッションと呼びます)は、多分目立つ方だ。
色しかり、デザインしかり、コーデしかり。
目立つ、派手。客観的に見てそうであることは間違いないと思う。
私は私なりのお洒落をしている。
けれども、一般的なお洒落の方向性とは全く違うのだと思う。
で、多数派ではないにせよ、そういう人も一定数居ると思う。あと、本来はそのタイプだけど一般論に困ったり迷ったりしてる人とか。
特に若手俳優さんのファン界隈は何故か、驚くほど他の観客の服装や容姿を監視する傾向の人がいるので、それで観劇の時は好きなファッションは選ばない、って人少なからずいるんじゃないかなあと。
それなんの問題があるの?っていうお話です。
そもそも、なんで目立つ服ばかり着るの?っていう疑問を持つ人がそれなりにいると思うので、お答えしよう。
私の答えはこうだ。
それが好きだから。
それが似合うから。
この2点に尽きる。
まず、好みに関しては、遍歴を上げるとわかりやすい。
ゴシック→パンク→ロリータ→ageha→姫→お嬢様→現在(色々ちゃんぽんした結果)
この通りなので、おそらく、元々インパクトのあるものが好きなんだわ。しょーがない。
私にも一応、彼氏のためにファッションを選ぶという、奥ゆかしい頃が一時期あった。その時が一番落ち着いてたはずなんだけど、落ち着いてるって言っても割と浮いていた。
今はなきsecret magicが大好きだったんだよその頃。一番落ち着いてた頃で全身それだった。
だからまず、好みは生まれながらに振り切ってるタイプ。
あと子供の頃から着心地とかに敏感なタイプでもあった。
次に、似合うものについては、もうちょっと個人的な話をする。
若い頃は、好みだけで選んでいた。それに応じて、好きな服に合わせてメイクやヘアメイクをした。つまり私は常に、その服に相応しい自分を作り上げていた。
でも年齢を重ねるにつれ、自分を作り上げることが将来的にしんどくなるだろうことが見えてきた。
で、「本来持ってるものを活かして似合うものを追求した方が生きやすいのでは?」と考え、似合うものを追求することにした。
私の本来持っているものは下記の通りだ。
・地黒
・肌が焼けやすい
・体つきがしっかりしている
・男顔
凄くマイルドな書き方をしたけど、言葉を選ばず乱暴に簡単に言うならば
「生粋の日本人というよりは中東系の肌や顔立ちで体つきが欧米人」
みたいな感じ。
なので、明らかにその辺りの地域で使われる色彩が似合う。南国っぽいのとか、暑い国や地域の色彩。あるいは、モノトーンに挿したビビッドカラー。そういう感じ。
で、それを追求していったら、当然日本で日常的に気軽に手に入るタイプのお洒落なファッションではなくなった。
というわけで、私は本来持っている容姿の特徴に似合うものを活かし、本来持っている奇抜な好みに従ってファッションを選んだら、派手になった。
ちなみに、服は全部自分で仕立てています。
日本国内で日常的に気軽に手に入るファッションって、先述した私の容姿の特徴でも勿論着られるんだけど、活かせているか、磨けているかって言われると、違う。無難にまとめるところまではいけるんだけど、そもそも似合うものが違うので、その域を出られない。
ショッキングピンクとかロイヤルなブルーとか、そういうバッキバキな色が似合うタイプなわけです。日本でそういうカラーのものが普通に売ってるか?っていうと、気軽に買える範囲で見ることは殆どない。絶妙に「黄色人種の中では色白で華奢な日本人」を引き立たせる色彩で、「あと一歩…あと一歩違う…!!!」なんですよ。だから着られるんだけど、無難って感じにしかならない。活かせてるか、磨けてるか、はクリア出来ない。あと、その無難なところで止まるのが好きじゃない。もっと突き詰めたい。突き詰めて自分の中で最高の答えを出したい。クリアしたいんですよ。なので、一言で言うと好みに合わないんですね。
そして体つきも日本人の標準規格よりしっかりしているので、絶妙にサイズがない。小さい。全体的に小さい。私の肩がそんな幅で収まると思うなよ???ってなる。肩や身幅で選ぶと今度はウエストがガバガバ。選択肢が、細いか太いかしかない。在日の欧米人はどこで服買ってるの?小さくない???私は「小さいかデカイかしかない!!!」ってなる。そういうのを着るのは、無難にまとめるなら良いけど、「お洒落」ではないと思う。
加えて、私は今はほぼ隠居だけどコスプレイヤーでもあるので、服を作るのは得意だし好き。
なので、じゃあもう自分好みで自分サイズで作った方が話早くない???って思って自分で作ってます。
ひとつ言っておきたいのは、日本で日常的に気軽に手に入るファッションでお洒落をすることを、否定したいんじゃないです。
似合っていて、好みで、サイズが合うなら、それが一番だと思います。
たまたま私は全てにおいて規格内じゃなかった。ただそれだけのことです。
そういうお嬢さんを見かけると、素敵だなあと思う。ファストファッションのお店で見た覚えのあるお洋服でも、似合っていて、サイズが合っていて、きちんと着こなされているのを見ると、なんだかとても嬉しくなる。
似合って、好みで、サイズの合うものが手に入っているんだなと。それって凄く素晴らしいことなんですよ。それを身をもって知っているので、素敵だなあと思います。
なので、否定をしたいんじゃないです。あくまで、「派手な服の人がなんで派手な服着てるのか」の、私のケースはこうだよ、って話をしたかったんです。
あと、推しから見えるわけでもないのに推しの現場でお洒落をする意味とは?というやつですけど
あれは色んな人が色んな答えを述べているので私の意見を。
「自分史上最高の自分でいると、それだけで自分で勝手にルンルンになり、ルンルンになると自分のパフォーマンスが向上するので、結果として観劇に集中できる」
あと、推しから見えないとしてもこっちからは推しが見えているので、推しの前では…っていう認識はやっぱり働く。見られたい、見てほしい、じゃなく。意識の話で、こっちから推しが見えてて存在を認識しているのに、ダラーっとしたり態度悪くはいられないっていう感じ。
よく、派手なファッションの人に対して
「目立ちたいからそういう服着てるんでしょ」と言う人がいる。
日常でも私はよく言われる。私は散々派手な服を着てきているので、外を歩いている時に受ける視線は気にならなくなったけど、こう言われると毎度全力で否定する。
私としては、ミニスカートで痴漢された女の子に「そういう格好する方も悪い」と言うのと、本質的には同じことだと思っている。
なんというか、考え方がとても短絡的というか。直結し過ぎていると感じる。
あと、若手俳優さんのファン界隈、結構そういう話見かけるよね。
まあ、あの、色々ある。距離感も近めだし、ファンサとか接触とかなんか色々あるから、そういう話になるのもわかる。
で、実際そういう人もいるだろう。見られたい、覚えられたい、ファンサもらいたいから目立つ格好をするっていう人。
でも、そうじゃない人もいる。
私のようなタイプは、結果として派手になっただけだ。根底にあるのは「目立ちたい」ではない。
色々言う人はいるだろう。私だって言われてるのかもしれない。
でも言い方は悪いけど、所詮他人だ。目立ちたくてその格好をしているのか、似合うものや好きなものを追求したら派手になったのか、それはあなたと、あなたにとって大切な人が知っていればそれで良いこと。周りを気にするのは勿体ない。その労力はお洒落に使えば良い。
だから、私のようなタイプのお嬢さんは、堂々と好きな格好をしたら良いなあと思う。
もちろん、人目が気になるから浮かない格好で、という選択だってある。推しの目が気になるという人もいると思う。
でも、比べてみて、やっぱり好きな格好をしたいなあという気持ちが拭えないなら、それは思い切ってやってみるのも良いと思う。
観劇なら、座席に収まる程度のかさばらないもので、反射する素材がゴリッゴリに使われていなくて、後ろの人の視界の邪魔にならないなら、あとは何を着ようが自由だ。
その範疇で、「これが自分史上最高!」って思うファッションを、ガンガンしたら良いと思う。
みんなチケット握りしめてお洒落しようぜ!!!
そんで、以下私の個人的な話。
私は好きなファッションに合わせて自分を作り上げてきたけど、そもそも「自分を作り上げる」ことの根底にあったのは、容姿に対するいじめだったのだと思う。
小中と続いたいじめにより、私は壊滅的に容姿に自信をなくした。元々自信はなかったけど、自信の芽さえ出なくなるまで、ボッコボコにされたからだ。
だから私は、ファッション以前に、外に出るときは化粧をするかサングラスで顔を隠すかしないと、怖くて仕方なかった。
だからコンプレックスの強いところを特に、理想に近づけようと作り上げていた。それによって、頑張ればある程度コンプレックスが埋められることがわかったので、好きな服に合う系統のメイク、というふうに結びついていった。
20代前半、ファッションに合わせて自分を「作り上げること」に違和感を覚えるようになった。本来の自分ではなくないか?という感覚だ。
芸術としてのファッションは置いておくとして、日常的なファッションというのは、自分を磨くためのものだ。自分を更に輝かせるためのもの。
でもファッションに合わせて自分を作り上げるというのは、本来のファッションのあり方とは真逆ではないか?本来の自分をひどく制限することともイコールではないか?と思った。つまり、原石を磨いてない。上掛けをして、それを磨いてる。
どうしてそう思ったのかというと、先述した通り、私が本来持つ容姿というのが、好きなファッション遍歴のどれを選ぶにしても、不向きだと理解していたからだ。
だってどう考えても色白で華奢な女の子らしい顔の子が着たほうが可愛いし似合うに決まってる。私はそれらを作り上げないと着れないことはわかってた。だからメイクを学んだ。
制限じゃないかと気付いた時、好きなものを好きに着る、というある種の無鉄砲さでファッションを選ぶには、私の年齢はもう過ぎていた。例えば中学生くらいなら、眉のお手入れを知らなくたって、好きな服を選んだりする。周りだって、そういう時期なんだなと暖かく見守る。でもそれで良い年齢はとうに過ぎていた。だから本来の自分を誤魔化し、上掛けを作り上げてファッションを選んでいた。肌の色と生まれ持った体格はどうしようもなかったので、白塗りして体型を隠すか、もしくはギャルの方向に振り切った。
同時に、自分の本来の容姿に似合うものが何かも、把握していた。
その上でこう自問した。
今後ずっと、本来の自分の容姿を誤魔化して騙して、言うなれば詐欺に詐欺を重ねて、ピンクのフリフリを着続けることが、果たして可能なのか。
20代のうちはギリいけるかもしれない。でも加齢とともに色んなところが衰えていく。それに抗うには、年齢に比例した努力、労力、時間、お金をかけなければならない。果たして私にそれをし続けることが出来るのか。
そうまでして、私は自分の容姿を誤魔化し続けたいのか。
それが、私の人生で一番大切なことなのか。
答えは今の私である。
私は、自分の容姿を誤魔化し続けるのではなく、自分の生まれ持った容姿を活かすことを選んだ。
それで良かったのだと思う。あの可愛らしいピンクのフリフリちゃんたちは、もっと可愛らしく、本当に似合うお嬢さんたちが着るべきだ。そして私はそれを見られれば満足だ。もう沢山着たから。
その選択によって、コンプレックスも少しずつ良くなってきたと思う。少なくとも以前ほど、ブスだデブだと気にすることはなくなった。
作り上げることを続けていたなら、私はコンプレックスを持ち続けていただろう。それは将来的に酷く苦しむことになっただろうから、私はこの選択に誇りを持っている。
だからみんな、好きなお洒落しようぜ。チケット握りしめて。