日々邁進備忘録

色々こじらせたオタクによる、海馬の容量とシステムエラーのために書き連ねるだけの備忘録。

ジャージー・ボーイズBlue/ニック・マッシについて

なんと半月も空いてしまいました…。
前回、前々回と、閲覧やスターありがとうございます!うわー!これがスターかー!これは何だ!?引用スター!?何その機能!って言ってたら半月が経ちました。おかしいなあ…。
沢山の方に読んで頂けて驚きと同時に嬉しく思います。ありがとうございます!

さて、ついに始まりました。
ジャージー・ボーイズ
一年前に推しから「告知の花火!」とお知らせ頂いてから、本当にあっという間でした。
観てきました。まだ観るんですけど。
もう、とにかく、最高がすぎる。すごい。
というわけで、今回は感想を書きます!!!なんだかんだちゃんと推し事らしいこと書くのひっっっさしぶり!!!
初見の印象を残しておくのって凄く大事だし、私は書くと解釈が進むんですよ、だからいつもは携帯のメモ帳に書いたりするんですけど、ブログに書いてみようと思います。ちょっと恥ずかしいな。

超絶怒涛のネタバレをもりもりしていきますので、まだ観ていない方はご注意下さい※

それから、先に書いておきますが、あくまで個人の感想です。
チームBlue初見における、主に推しと、推しが演じるニック・マッシがどうだったかみたいなことを個人の感想で騒いでいるだけなので、ご承知おき下さい。
ネタバレが嫌な方、個人の解釈に興味がない方、是非ともここでお別れを。
あと読んでる途中で「なんか違うな」って思ったらその時もお別れしましょう。
サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。

 

 

 

いやあああああああもうさ、歌が!!!すごいの!!!なんのって!!!知ってたけど!!!!!!!!
私は紙面に並ぶ活字を読み解く「読解」が優位なので、ほかの人から見てどうであろうと、私の中では比較して、耳から入る音はさほど優位じゃない。
だから今まで、旋律やハーモニーそのものに感動をするってことがなかった。読解優位だから、歌詞が先にあった。
んだけど、ジャジボはそんなん余裕で越えてきた…。初めてハーモニーに感動した。
一幕が開けてすぐ、鳥肌が立ってた。開幕は一瞬、何が起きてるのかも理解できなかった気がする。それくらい、圧倒された。すぐに頭がついていくことができなかった。
でも、みんなが歌う。たったそれだけ、でもその瞬間に、理解も圧倒も何もなくなった。まるでタイムスリップでもしたかのように、スッと世界に入り込んだ。というより、気付いたら、その世界に立ってた、そんな感じで始まった。
歌が上手いとかどこがどうとかは、私は門外漢なので語らないけど、とにかく、歌、音楽の持つパワーがすごい。グッと惹き込まれる。

私はいつも、初見の時、序盤ある程度のところまでを使い、自分の感性のチャンネルを合わせる。作品がコメディなのか、シリアスなのか、ラブストーリーなのか。どういう世界観なのか。誰が出てくるのか、誰がどんな立ち位置や背景なのか。そういうものを総合して、何を伝えようとしているのか。作品に合わせて、私の受信チャンネル、つまり感性のチャンネルを合わせるのだ。普通なら、「笑いたいからコント見よう」「思い切り泣きたいからあのドラマ見よう」とテレビのチャンネルを合わせるだろう。その逆バージョンだ。
でもジャジボは、そんなもん何も必要なかった。ただ、そこに世界があった。あの頃のジャージーの世界が。当時を生きていた彼らがそこに、ただ、存在して、ただ、生きていて。探るもへったくれもない。私は、ただ、同じ時代、同じ場所に、生きている。必要なものはたったひとつ、それだけだった。
感性のチャンネルを合わせる必要がない。それほど、この作品は、五感、いや、六感も含め、ダイレクトアタックしてくるものだった。まるで疑似体験をするか、それ以上の現実感と、何より登場人物みんなの、吐息が感じられた。息をしている、すぐそこで。普通にそれぞれの人生歩いてる、目の前で。
私はもしかしたら、工場の労働者かもしれない、ダイナーでクマを作って働く女の子かもしれない。そう思ってしまう、というより、上演中は普通にそう錯覚してた。

そう感じられるような脚本や構成なんだと思う。もともと。彼らが歩んできた物語というのは(もちろんこうした作品にするにあたって脚色が加えられているにせよ)、ジェットコースターみたいな道で、でもそれは案外、金曜の夜は飲んだくれて土曜の朝は頭痛、みたいな、私たち一般労働者と、そんなに変わりがない。凄く、すごく近いんだと思う。今、現代の日本に住んでいる私たちの環境と、あの頃彼らが歩んでいた道の環境っていうのが。
私たちだって、労働力を搾取しようとする会社だとか上司だとかから、いかに身を守るかを、いつも考えさせられてる。
私たちだって、平穏の中で、自分がうつくしいと心底思えるもので時間を満たしたいと思ってる。
私たちだって、クラスの人気者になりたくてもなれないことの方が多い。自分より集団を重んじて軋轢を避けるために「みんなの思うとおりに」することなんかたくさんある。
私たちだって、社会のしがらみのために家庭をなくしたり、その逆もある。
そうやって、苦しんで、時には狂って、もがいて、それでも愛する人や狂おしいほどの魅力ある何かを捨てられなくて、みじめに思ったりしながら生きている。
本質的にすごく近いものを感じる。そういう脚本や構成なんだと思う。
そしてそれを、とても的確に汲み取ってアウトプットされている。
みんながひとつの方向に向かって、全力尽くしてるっていうのが肌で感じられる。私は、それが凄いと思う。
台詞、言葉のひとつひとつ、言い方、表情、声色。照明。衣装。音楽、それをより美しく伝えるための音響。歌。ハーモニー。素人耳には寸部の狂いも感じさせない音色。
五感の全てにMAXダイレクトアタックされると、六感てこんなに開くんだなって実感した。
で、それが出来るのって、私はよくわかってないけど、演出の先生の采配なんじゃないかと思う。
藤田先生が細部まで的確に汲み取っていて、裏付けもしていて、その上で頭に世界を描いて、それをみんな、本当にみんなに伝えて、そして、裏方も含めみんながそれを共有しているからこそ、こんなすごい空間が生まれているんだと思う。
こう、脚本とか構成とか音楽とか台詞とか、一切の無駄がない。あるもの全部を使って、そこからないものまでもをつくりあげ、余すところなく何もかもをぶん投げてくる。
例えるなら、観客が構えているグローブにしっかり狙いを定め、全身全霊をかけた剛速球を投げ込むような。
なんて力なんだろう。でもそれって、藤田先生の中の像がはっきりとあって、それをみんなが共有しそこに進もうとする、それがなかったら起こりえない力なんだと思う。だから、もう、藤田先生の采配も、カンパニーも、すごい。それしか言いようがない。
私は藤田先生はTMO、ジャジコンに引き続き三度目なんだけど、TMOの時に演出力っていうのをものすごく感じたから、ジャジボやばいぞって思ってたけど、改めて、すごい以外の言葉を失った。
実際に見ると凄く人の良さそうな、控えめそうな方なんだけどね…どんな頭の中身なんだろう…座談会とかしてくれないかな…。

私の推しはspiさんなんだけど、私は、spiさんのことを信頼している。だからまず緻密な役作りとお芝居は確実だろうと思ってた。加えて、歌は絶対、門外漢の私なんかが予測出来る範囲を超えた仕上がりにしてくるってこともわかってた。
んだけど、推しの、仕上がりに、私は、まあ、もう、ビビった。えっ、チームBlueのニック・マッシってspiさんだよね???
私はまだ追って1年半だから、これは、その間にたまたま聞く機会がなかっただけなのかもしれないんだけど。
推しって、高音が得意、っていうのが、自他共に認める一番の音楽的魅力なんだと思う。自覚していて、ファンもそれを期待しているし、制作サイドもそこをピックすることが多い。だから、私がたまたま聞く機会がなかっただけなのかもしれない。
だけど、それにしても、低音がえっらい伸びてて、もーびっくりした。伸ばしてくるのは予想してたし、ボイトレ行ってるんだろうなとも思ってたし、稽古超きっっっついだろうなっていうのも前から予測してた。パワーアップして帰ってくるのはわかってた。それにしても、「え!?声が確実にspiさんの声だけど、え!?こ、こんな音をこんな声で出せるようになったの!?」だった。最初半信半疑だったんだけど、「A Sunday Kind Of Love」で「マジじゃん……」って思って涙ぐんでしまった。声帯が超絶レベルアップしてた。
ジャジコンで聞いた時は、「きっとここから更に伸ばしてくるだろうな」っていう感じだったんだけど、更に伸びに伸びておりました。
私が推しと出会った時の作品では、低音はキツそうだなっていう印象は、正直あった。それが、去年末に同じ役をやった時、低音レベルアップしてて大号泣した。それでも、喋って歌っての個人イベント昼夜ってなると、夜の後半はちょっと声枯れかけかなってなってた。声帯にダメージがあると、こう……音の終わりに、えへん虫みたいなのが出るから。それが、先月の個人イベント昼夜は、最後まで枯れなくなっていた。たまに裏返ることがあっても、裏返ることによる声帯へのダメージなんかもろともせず、最後まで貫くような安定した圧があった。その時に「これはジャジボすごいのでは…!?」って思った。
本当に、そうだった。
私はチームBlueしか観ていないのもあるから、とにかく推しがすごいってめっちゃ言うけど、もちろんWhiteも観た方の中には、忌憚ない意見もあると思う。
でも、私は、もしかしたら出せたのかもしれないにせよ、それでも得意分野ではなかっただろう低音という、これまで聞いたことのなかったspiさんの新しい歌声が聞けたことが凄く嬉しい。ここに向かってめちゃくちゃ頑張ってきているのも知っていたから、それがこんなに大きな実りになっていて、凄く嬉しい!
きっとこれからも、色んなところを伸ばしていくんだろうな。もりもり伸びるんだろうなって思ったし、それを見るのが凄く楽しみになったし、だから死ねないな!って思う。
推しが、あのメンバーの中で、(少なくとも私のような素人耳には)寸部狂わず美しいハーモニーを奏でているって、凄いことすぎる。寸部狂わず、負けることも、出過ぎることもなく。そこにも凄く感動してしまって、何か推しが歌う度に涙ぐんでいた。
そんでもって、低音て伸ばせる範囲が限られてるし、推しは高音を見出されてきているから、素人耳には低音やらせようなんて思わないんだけど(ご、ごめんね)、それが出来る、伸ばせる、伸ばせばできるって判断されたことが凄いことすぎる。判断した方も凄いし、判断された推しのポテンシャルも凄い。凄いしか言いようがない。
本当に、キャスティングにも、厳しいお稽古にも、推しの並々ならぬ努力にも、圧倒的感謝。本当にありがとうございます。

お芝居はですね。この、観てから3日くらい経つまで、正直あまりに音楽のパワーが圧倒的すぎて、全然考えられなかった。私が耳優位でないにも関わらずハーモニーに感動するっていうことが起きてしまったので、完全にキャパオーバーしてて。で、やっと考えられるようになってきました。大変だった。
推し、役作りやお芝居が、凄く緻密で、私はそこが物凄く魅力的だと思ってる。完全に別人格っていうか…役者っていうお仕事を鑑みれば、それは出来て当たり前なのかもしれないけど、私から見ると、一瞬の隙もなくて、そこが凄く好き。役という状態を超えて、その「人」として息をしている感じがして。これは私の主観の感覚としてだけど、多分、推しの役のアウトプットの仕方と、私の好む表現っていうのが、合致してるんだと思う。いつも感覚にダイレクトアタック。
今回も緻密だった。いやまだ一回だけだし、後方だったから表情とか微妙な変化っていうのは見えてないんだけど。

ここから特に圧倒的ネタバレね。
まず、推しを介したニックという役の解釈。

推しの演じるニック・マッシは、ある種、平凡なんだと思った。
もちろん音楽の才能がある。でもフランキーほどじゃない。彼ほど抜きん出た凄まじいものを持ってるってわけじゃない。
グループを円滑に回すことはできる。でもトミーのようにみんなをグイグイ引っ張っていくタイプでもない。
じゃあゴーディオのように曲が書けるかっていうと、そういうわけでもない。
ニックだけが、「人の目に見えるところ」に抜きん出たものがない。
つまり、有り体に言えば、平凡な人なんだと思う。
いや、音楽の才能は凄いんだよ。フランキーの後ろでコーラスできるほどなんだから、それは凄い才能なんだけど、フランキーが凄すぎて、グループ内では比較して霞んでしまいがちなんだよ。多分。
フォー・シーズンズ自体が、夢のために駆け回ってるのか、それとも夢に翻弄されてるのか、微妙な、若く、突き走る感じだった。そういう時代だったんだと思うし。
ニックには夢があったんだと思う。漠然とした、「スターになる」っていうやつ。
もしかしたら、最初は、たったひとり、つまり奥さんのスターになれればそれで良かったかもしれない。でっかい夢が、明らかに夢だってわかる場所にあったなら、たったひとりのかけがえのない小さなスターとしてこつこつ歩んだのかもしれない。
でもトミーに誘われて、フランキーに出会って、この道に乗れば俺も本当のスターになれるって思った。つまり、沢山の人のスターになるっていうでっかい夢が、頑張って手を伸ばせば掴めるかもしれない場所に近付いた。
「誰だってスターになりたいもんだ」みたいなことを最後に言うけど、紐解いていくと、愛されたいとか、認められたいとかっていう、漠然とした大きな欲求なんだと思う。
ニックはそこが欠けていて、いつもそこを埋めるのに奔走してきたんじゃないかなと思う。
でも、多分、ずっと思い通りには埋めてこれなかったんだろう。ニック自身が望むほどの愛情や承認を得られたことがなかったんじゃないだろうか。
誰だって、心の中にある泉は、大きさが違うものだ。それを満たすのに必要なものも、その量も違う。ニックが人より大きい泉を持っていたのか、それとも、人並みの泉だったけど幼少期にきちんと満たされてこなかったから枯渇が日常化してしまったのかはわからないけど、とにかく、ニックは、愛情や承認という水や栄養で自分の心の泉を満たしてこれなかった。
グループの中では年齢も相まって一番早く結婚していたし(だよね?確か)。妻という存在がいれば、少なくとも一箇所からは、愛情や承認というものの安定した供給が見込める。それに、うまくいかなくなっても離婚しなかったから、愛していたのは事実なんだと思う。
女性好きというのも、そうかもしれない。スターグループの一員になったニックには、きっと数え切れない女の子が寄ってきただろう。女の子が寄ってくるっていうのは、それだけでスターの勲章みたいなものなんだと思う。それによって承認は一時的に満たせる。これは憶測だけど、抱いた女の数が多ければ男として格上、みたいな価値観もあったのかもしれないし。抱いている間だけは、女の子はかりそめでも愛情をニックに向けるし、包み込んでくれる。
それからお酒も、うつつを忘れさせてくれるから、鍵だったんだろう。つまり、グループの中では目立つわけじゃないっていう、劣等感みたいなもの。
彼には、その劣等感を忘れ、そして、愛情や承認を向けてくれる人が必要だった。そうなんじゃないかな。
でも同時に、そうやって、一時的な快楽で満たすのが本当の解決じゃないことも、ニックはずっとわかってたんだと思う。
グループに入った頃のニックは、まだ、奥さんのたったひとりのスターであることと、沢山の人のスターになることの違いと、大切さと、それから、欲求が、ちゃんと答えを出せてなかったんじゃないかな。奥さんのたったひとりスターであることは理解していて、大事にも思っていて、誇らしくもある。でも沢山の人のスターになるっていう夢のまた夢だったものが、頑張れば掴めそうなところに近付いてきたとわかった時、彼はその大きな欲求に対して、冷静な答えを出せなかった。奥さんを取るのか?欲求を取るのか?それとも、その中間で、奥さんに誠意を尽くしながら欲求も満たすうまい活動の仕方を考えるのか。
ニックは、その中間で、両方欲しい、だったんだと思う。あの頃まだ若かったしね。
でも、二兎を追うものは一兎も得ず、という言葉があるように、彼もまた、どちらも、彼にとって完全な状態では手に入らなかった。
両方欲しい。その結果、奥さんとはうまくいかなくなったし、グループの中でもいまいち前に出きれず、グループ内で人気の優劣をつけるなら、劣にあった。
多分、なんだかんだ若かりし頃のニックも、なんとなく悟ってはいたんじゃないかな、とは思う。ただ、悟ることや理解することと、感情とは全く別だから、感情がついてこなかっただけで。感情がついてこないから、うまくできず、両方欲しがって、両方手に入らなかったんじゃないかな。
かといって、両方手に入れるためにうまくやるとか、野心家になるってところにも、行き着けなかった。例えば、トミーのように、自分から積極的に行動するとか、そういうことができなかった。
というのは、結構最初の方で、なんだったか、みんなの決めたとおりにする、みたいなことを言っていた。それから何度も、「俺も自分のバンドを作ろうかな」とも言っていた。でも彼は作らなかった。彼には、作れなかった。
なんでかって、彼には、抜きん出たリーダーシップとか、あるいは、肝ってものが、あまりなかった。それを自分で理解していたからだ。
つまり、自分のバンドを作ったところで、トミーのように肝の据わったメンバーが必要だったし、ゴーディオのようなヒット曲を書けるメンバーなり作曲家なりが必要だったし、そして、このグループを超えるスターになるなら、フランキーのような音楽的魅力のある人が必要だった。結局のところ、自分のバンドを作ったって同じことだってのが、わかってたんだろう。しかもこれだけ才能に恵まれたグループなんだから、それをわざわざ降りて博打をするほど、ニックは浅はかじゃない。
同じことなんだったら、ここにいる方が余程楽だ。だってトミーが引っ張ってくれるし、ゴーディオが曲を書いてくれるし、フランキーが歌ってくれる。じゃあ自分は?
そこで初めてニックの個性が出てくる。グループを円滑に回すこと、だ。彼にあるのはそれだけだったんだと思う。つまり調整役だ。自分で言っていたけど、トミーと10年も同室っていうのは、そりゃあしんどい。でも、才能あるフランキーとゴーディオには、音楽に集中してもらわなきゃならないし、トミーが必要であることも、よくわかってる。
だから自分が、トミーの受け皿になる必要があった。ニックの役割は、そこだった。年も上だったし、あのメンバーの中では抜きん出たものがあるわけじゃないニックが、スターであり続けるには、その役割を担う必要があると、彼は考えたんだと思う。
ニックは確かに調整役にはうってつけだったと思う。きっかり正午に起きてご飯を食べる…だったっけ?ルーティンを崩さない几帳面さがあるし、目先と、もっと先、周囲をよく見渡せる、視野の広さもある。それに、なんだかんだグループに留まることとかは、口先だけとも取られるかもしれないけど、それは反面、慎重さや思慮深さの証だ。集団には、そういう人が必要だ。それは立派な才能だ。だってそういう人がいなかったら?もし、グループにニックがいなかったら?トミーの野心家なところがフランキーやゴーディオの集中を邪魔したかもしれない。緩衝材は、地味だけど、必要不可欠で、誰にでもできるものじゃない。少なくとも、他の3人にできることじゃなかったはずだ。
そして同時に、そういう人は総じて神経質な面もあるし、慎重な分、ものを言えない部分があるっていうことも、みんなが理解する必要がある。きっかり正午に起きて食事を取る人間が、タオルを片っ端からびしょびしょにして床に放置した挙句洗面台にしょんべんする奴と、ずっと一緒に生活なんか、できっこない。少なくとも私なら絶対に耐えられない。それを10年耐えたニックは凄い。本当に禁固刑だと思う。だけどそれに耐えてでも、ニックはなんだかんだ、グループにいたかった。あの時までは。音楽が好きだし、音楽の才能あふれる人の中でやれることが嬉しかっただろうし、スターに上り詰めたし。だから、耐えてでもいたかったんだろう、あの時まではね。
でも、みんなはそれがわかってなかった。トミーは自分が野心家で、ある種の見方をすれば、わがままであるってことが、自分でわかってなかった。それを知っているニックは、フランキーやゴーディオに負担をかけないため、自分のところで留めるために、口外しなかった。だからふたりはそんなことも知らなかった。
ニックは、本当は言わなきゃいけなかった。だってグループなんだから。ツアーのファミリーなんだから、言わなきゃいけなかったんだ、でも彼は言えなかったんだ。負担をかけたくなかったから、あるいは、肝が据わっていなかったから。
あるいはそれは、ツアーのファミリーが、彼にとって本当に、一番必要なもの、ではなかったからなのかもしれない。
彼に必要だったのは、いつだって、本当のファミリーだったんだろう。まっすぐに自分だけを愛してくれる妻と愛し合い、子供と遊ぶ。ファミリーのスターになることが、彼に一番必要な処方箋だったんだろう。
そう、気付いてしまった。だから、グループを去った。
リンゴスターだったら、家に帰って、子供と遊んだほうが良い。彼は10年かけて、その答えをやっと出したのだ。
私は、それで良かったと思う。
ニックがそう気付けて、本当に良かったと思う。ある意味、トミーのあの狂いっぷりが表に出たのは、良かったことだと思う。だってそういうきっかけがないと、人間て決断できずズルズルいっちゃうものだから。それで尚狂っていくから。
なんだろう、だから、ニックはある意味、凄く平凡だなあ、っていうか…。
一番成長したのがフランキーだと思うし、一番狂っていったのがトミーだと思うし、一番無関心だったのがゴーティオだったと思うし。
一番、ごく一般人に近かったのが、ニックだったと私は思う。
そして、実の子供に自分を叔父さんだと思わせていたこと。これ、私最高に、ニック良いダメな男だな……って思う。
正直、ろくでもない父親なら、いっそのこと、父親というものが存在しない方がましだと私は思う。それは私がそういう環境で育っていているから。
ニックは、自分がツアーで殆ど家に帰れない、つまり子供達にとって必要な父親としてのつとめを全く果たせていないことがわかっていた。加えて、子供たちは知らないかもしれないけど、ツアーに出ている間、奥さんじゃない女の子と遊んでもいる。多分だけど、彼の中にある「理想の父親像」に、自分は全くなれていないってニックは思っていたんじゃないかな。
本来なら、その「理想の父親像」になるべく努力すべきなんだけど、グループを抜けるまで、ニックはそれができなかった。できなくても、子供たちに最善は尽くしたい。その気持ちがあったから、ニックは叔父さんと思い込ませたんじゃないかなと思う。
それだけで、ニック良いお父さんだよって思う。ダメだけどね。でも、良いダメな男だと思う。

そして推しのニックの演技のお話をするんだけど。

基本は、クールで、一歩引いた目線でグループを見、グループを円滑に回すために必要な役割を果たそうとする人って感じ。几帳面だから調整役としては上手いんだけど、几帳面故に調整役してる時に感じるストレスのはけ口が必要で、その結果女性と酒にいったタイプ。でも、後述するけど、女性との遊び方にも彼なりの矜持があるから、やっぱ几帳面だなあと感じた。グループで人前に出る時はクールな表情なんだけど、仲間内でいる時はそれなりに近く感じる。でも奔放ではないな。羽を伸ばしていいところと良くないところは一番きっちりわかってる気がする。刑務所入れられたのも不法侵入だけだから、あの世界観で考えるなら軽い軽い。
あの、2幕のニック大激怒の演技の仕方がね、意外と落ち着いていて。ジャジコンで見た初演の福井さんの演技だと、キレッキレのキレだったから、その方向なのかと思ってたんだわ。声を荒らげてガチギレするのかと思ってた。
違った。
今までに、推しが声を荒げる怒りのシーンも、逆に、声は荒げないけど淡々とした静かな怒りの演技も見たことがあるけど、その中間って言えばいいんだろうか。
タオルを片っ端からびしょびしょにした挙句洗面台でしょんべんしやがった、あのちっちぇえ石鹸、の、あのくだりが、意外とまろやか(?)というか。だからこう、ニックの几帳面なところと、トミーの大雑把なところは、確かに相性が悪いんだけど、ニックはそれそのものに怒ってるわけじゃないんだろうな、っていう印象を受ける、絶妙なまろやかさがあった。あの時ニックも、今まで堪えてきたものが全部一気にきちゃって、ニック自身動転してたんだろうなと思う。だからあの場で一番の厄介者になってしまったトミーに対する不満という形で爆発しただけで、これが別のことであったら、多分トミーを責め立てることもなかったんだろう。
多分これは、先述したような、グループ内でのニックの役割っていう部分とも絡み合ってくることなんだと思うんだけど、どうも、怒りがトミー本人に直接向いているのではないように感じた。
なんというか、トミーを介して、別のものに怒っているような感じがした。
ニックは確かに、トミーの大雑把なところ、同室のニックに配慮をしないところに不満があった。先述した通り、几帳面さと大雑把さというのは、もちろん併せ持つ人もいるし上手くやっていく人同士もいるけど、大体の場合、共同生活は難しいからだ。でもニックの中では、「でもトミーはグループを引っ張っていってくれている。それは自分にはできないことだ」って理解していた。正誤は置いておくとして、ニックの中では、それを理解している以上、そしてトミーが引っ張っている以上、トミーに怒るべきじゃないっていう認識があったんだと思う。だってトミーは、引っ張っていく立場故のストレスを抱えているだろうっていうのも、ニックにはわかっていたから。だから、「俺ひとりが相手してやることで済むならそれでいい」みたいな、ストレスの分担を担おうとしていたのかもしれない。
でも、トミーのストレスは、それだけじゃ留まらなかった。結果、彼は莫大な借金を作った。ニックは、それが起爆剤になった。
そう、それは、ニックの本当の怒りの理由じゃなくて、ただの起爆剤だったんだと、私は思う。
例えば、ニックがトミーの相手をしてやることで、トミーのストレスが軽減され、グループが上手く回るならば、ニックは怒らなかったと思う。もちろんトミーの相手をすることで、ニックにストレスはかかる。でもグループを上手くやっていくためには必要な負担だと判断するだろう。だからこそニックは誰にも言わずにトミーの相手をひとりでし続けていた。10年も。そして表面上はそれで上手くグループが回ってた。
でも、本当は上手く回ってなんかいなかった。トミーのストレスは、ニックに対する不配慮に留まらず、賭博という発散方法を選んだ。気付いたら莫大な借金になっていた。
それを知った時のニックの気持ちたるや。
俺がしてきたことはなんだったんだ?俺はスターになりたかった、でもひとりじゃなれなかった、このグループならばと思って賭けた、賭けに買ったと思ったし、賭けに勝ち続けるためなら多少の投資は惜しまないつもりでいた。子供には叔父さんだと思い込ませて、トミーの相手をして。でもその投資は、スターであり続けられるならば、という前提のもとだ。俺が投資をしてもグループは上手く回らなくなっちまった。しかも俺にはフランキーやゴーディオほどの才能もないし、トミーみたいに上手く交渉をやってのける力もない。
これ、絶望じゃないか?
掴んだと思ったでっかい夢が、本当は砂上の楼閣に成り果てていたら、そんなの家に帰りたくなるに決まってる。
……っていう印象を、受けた。推しの演技から。
絶妙に強くなかったんだ、怒り方が。だから端的に言うなら「怒っている」状態なんだけど、怒りの皮を被った、他の感情だと思った。あの帳簿?を見て、取り立てが来て、その時ニックの中に生まれたのは怒りと絶望だったのかなあと思う。そしてパワーがあるのは怒りで、先走るのも、形になるのも怒りだ。だから怒りの皮を被っていたけど、絶妙に、ただの怒りとは違うものがあった。それが、「家に帰りたい」という、ニックの本当の姿、でっかい夢を掴むことに対する諦めと絶望なんじゃないかな。
そして、あの怒りは、ニック自身にも向いていたのかもしれないと、私は思う。
もちろん、あの瞬間にそれらを全て自分で理解してたわけじゃないんだろう。でも自分の愚かさを感じたんじゃないかと思う。つまり、奥さんのたったひとりのスターであれば良かったものを、沢山の人のスターというでっかい夢を掴みに行った挙句、奥さんとは上手くいかなくなった上、グループもこんなことになってしまって、正に二兎を追うものは一兎も得ずになった、その決断をしてきている。自分が愚かだと感じると同時に、自分自身に怒ってもいたのかな。
だから、起爆剤になったのはトミーだけど、トミーに対する怒りを介して、自分に怒っていたんだと、私は解釈してる。今のところ。
そう解釈すると、最後の、なんだっけ…誰だってスターになれる、の前の、本当はトミーに怒ってたわけじゃなかったみたいな、あの台詞とも繋がってくるかな、と。
何が言いたいのかっていうと、そういう印象になるように緻密に計算した演技をしてくる推しが凄い。ただ怒るだけじゃないんだもん…怒るって色んな種類があるよなあと実感した。
で、その感情の波が落ち着いてきた頃、「家に帰る」と彼は言ったわけだけど。
「Stay」のコーラスしている時の推しの表情の虚無感がすっっっごいのなんの……。それまでは、(多分スターとして見せる顔ってものがあるから)表情に出してないにせよ、「音楽楽しい!最高!」って雰囲気があったのに、「Stay」の時、それがないこと。ああ、多分、自分を殺していないと、スターとしてダメだな、とか、トップに押し上げてくれた一般大衆のファンを裏切ってしまうな、とか、そういうこと思った結果、「虚無」になったんだろうなあ……。
ちなみに私は、このあとの、マイクにニックのジャケットがかかっている中での歌唱シーン、そして、「Don't you worry 'bout me」の流れが死ぬほどしんどみが深くて好きです。平気な訳無いだろおおおおおフランキー!!!!!!!!!っていう気持ちと、あの擦れてなかったフランキーが、それでもその歌を歌い、その道を歩むまでになった、つまり強い男になったっていう実感が一気に溢れてきて、しんどい。
で、あと、ニックは散々女性と遊びながらも最終的には家族の元に帰ったわけだけど、それって都合の良い男にも見えると思うんだけど、私は、ニックはニック本人にしかわからない正義があったと思う。
クリスマスにグループが女の子をプレゼントされたシーン。ニックがプレイボーイを出すのってあのシーンだけだけど、まぁーーーーーーーーー好きですね、女の子が!!!!!!!って感じが凄くするんだけど()あとお酒も。
でもこう、距離が近いのに距離がある感じがして、凄く、「あー、かりそめの安定剤なんだろうな」感があった。
というのも、ニックは劇中で、おでこにしかキスしないんだよね。あんな、女の子に足絡められながら、腰を抱いて、お酒をラッパ飲みして、ゴーディオの「初めて」を時事ネタで野次ってるにも関わらず。それが、彼なりの正義なのかなと思った。唇へのキスとおでこへのキスじゃ重みが違うし、距離感が違う。ニックは遊びの女の子には唇にキスをしない主義なのかもしれない。それが「妻に本当のことは言わない」というダメ男が唯一持つ貞操観念の矜持なのかもしれない。その、独特の距離感が、好きです。
凄く個人的な話だけど、ダメな男が好きでして、私。でもダメな男とクソな男って違うんだよ。あんまりわかってもらえないけど。で、絶妙にダメな男だった、ニック・マッシ。そもそも既婚者が女性と遊ぶでない!!!っていう倫理観がぶっ壊れているにも関わらず、誰からも、奥さんからも見えない・理解されない独特の線引きがあるっていう、この謎の矜持があるところが、ダメな男として100億ポイント。
その、かりそめの安定剤だなっていうのがわかるところが最高に好きです。とても最高なダメな男だった。

というわけで、推しのニック・マッシの解釈と、緻密な役作りと、狭い隙間を縫うような絶妙な演技が、最高でした。

まだ色々引き出せばあると思うんだけど、この辺で…文字数がおかしい。
このあと前方席があるからもっと「うわーーーーーニック・マッシ!!!!!!」ってなるんだろうなあと今から覚悟しています。
さて、推しで初見を迎えるために未鑑賞の映画を見るぞー!!!