日々邁進備忘録

色々こじらせたオタクによる、海馬の容量とシステムエラーのために書き連ねるだけの備忘録。

大人のニキビ肌さんに贈るスキンケア実録

なんと一年近く…?放置してしまいました。なんてこった。

今回は推しごとには一見関係のない、でも推しと接触する機会のあるオタクにはめちゃくちゃ切実な、美容について実録です!

推しごとしてる人でも手の届く価格帯のアイテムと、それを使ったケアをご紹介します。

 

まずは座学から。

「いや細々したことや小難しいことはいいから、早くおススメ教えてよ!」

はやる気持ちは痛いほどわかりますが、細々した小難しい知識がないと、合うスキンケア用品を選ぶことも難しいんですよ…。

ダイエットも美肌も、努力が大事。ちょいとお付き合いください。

 

今回の被験体はもちろん私。

推しがお稽古やら他のお仕事やらで約2ヶ月まるっと現場がなかったので、その間にあれこれ調べ試してみました。

現場ある時に試しちゃうと…万一合わなかった時に…ただでさえニキビ辛いのに悪化するじゃん…?困るじゃん…?

それは推しがこっち見てるとかそういう、いわゆる「オタク自意識過剰乙」的な意味ではなくて、単純に、「推しの現場行くのに自分の見た目が自分の納得いくように整えられてないのが耐えられない」っていう自分の都合の方の話です。

 

というわけで、まずは私の肌のスペックを。

・頰や顎にニキビができる

・ホルモンバランスとストレス、肉体的な疲労によって悪化する

・顔面は基本的に油田

・その割に冬は頰の辺りに乾燥を感じる。ただし粉を吹いたことは人生において一度もない

・スキンケア用品の相性が分かれる

こんな感じ。

端的に言うと、混合肌。一番めんどくさいタイプです。

 

そんな肌スペックの私の実録で「これは効果があったぞ!!!」っていうのをご紹介するので、以下の方は多分合わないです、申し訳ない。

・乾燥性敏感肌の方

・乾燥肌の方

・天然成分が合わない方

 

というわけで、混合肌でニキビの出来やすい方のご参考になれば!!!

目指せニキビ撲滅ツルツルお肌ー!おー!!!

 

※あくまで個人の実体験と感想を基にした記事です。効果やお肌トラブルが起きないことを保証していません

※お肌にピリピリ感を感じたら、症状が出る前に使用を中止してください

※ご使用は個人の責任でお願いします

※そもそも医師でも美容専門家でもないので、書いてあることには間違いがあることもあります。気になったことは鵜呑みにせず、各自おググりください。

 

 

 

 

めっちゃ頰やフェイスライン、顎にニキビ出来る混合肌、何が原因なの?

 

一言で言います。

乾燥です。

「いや、でも頰とかもテカるのに、何が乾燥なの?てか混合肌って頰は乾燥するんでしょ?私の顔面全体オイリーだけど。だから脂肌じゃない?」

こう思われた方。

そして、脂肌だと思ってそれ用のスキンケアをしているのに、いまいち改善しない…という方。

そもそも、皮脂分泌の激しい額と鼻は一旦置いておくとして、乾燥しやすいと言われる頰にも皮脂分泌が多いことに、疑問はありませんか?

イメージでいくと、額と鼻はオイリー、頰は乾燥してカサカサ…これが混合肌だと思っていないでしょうか。

そういう方もいるでしょうが、それだけではないんです。

 

乾燥を感じた頰が防護のために皮脂を分泌した結果、毛穴が詰まる。

 

このパターンもあるんです。

もともと、皮脂の分泌が少なめという方がいます。そういう方が乾燥肌の方です。

水はそのままだと蒸発しますが、水は油と混ざり合わないので、水分の上から油分で膜を張ることで、蒸発を防ぐ、つまり乾燥を防ぐことが出来ますね。乾燥肌の方は、化粧水を塗っても、自分の皮脂でそれを肌に留めておくことが出来ません。だからしっとりタイプの乳液で蓋をしてあげないと肌荒れしてしまいます。

 

が、混合肌は、なまじ皮脂の分泌がちゃんと出来ちゃうので、テカる。だから一見乾燥とは無縁に見えます。それに、「テカるから」という理由で、乳液を使わないとか、あぶらとり紙を使うとか、あるあるではないでしょうか。

 

し  か  し

 

それこそが乾燥、つまり皮脂分泌、ひいてはニキビを悪化させます。

乾燥を感じているから皮脂分泌が行われるのであれば、テカっているからといってそれを取ってしまったら、肌の水分をとどめていた油膜がなくなりますよね。ということは、水分は蒸発し放題、更に乾燥して、いっそう皮脂分泌が過剰になりません?

ベタつくからと乳液等を使わないのも、肌から水分が蒸発していってしまうのを防ごうとして、過剰な皮脂分泌が行われる原因になります。

なので、ニキビの出来やすい混合肌の方こそ、しっかり保湿してケアをするのが大事です!

また、顎やフェイスラインのニキビは、手や髪、衣類がよく触れるためでもあります。

なるべく触らない、顔に髪がかからないようにするなどしてみると、変わることもあります。

 

※ただし、思春期ニキビはまた違うので、思春期の方は思春期ニキビの退治方法をお調べください

※大人になっても頰ではなくTゾーンにニキビが多く出来る方は、混合肌ではなく、脂肌かもしれません。その場合も脂肌のためのスキンケアをお調べください

 

 

具体的に何が効くの?

 

まず、汚れをしっかりと落とすこと。クレンジングや洗顔です。ただし、落とすことに必死になって必要な水分や油分まで落としてしまうと皮脂の過剰分泌の原因になるので、注意しましょう。詳しくは後述「スキンケアのステップ」にて。

洗顔料は泥の入っているものがおススメ。しっかりと汚れを吸着してくれます。

 

そして水分。これは化粧水でバシャバシャ入れていきます。成分はお好みで。

 

それから、化粧水の水分を逃がさないための蓋として、乳液なりジェルなり。これも、成分はお好みで。

ここまでは鉄板です。

 

で、更にニキビ対策として加えたいのが、「ビタミンC」、そして「オイル」。

 

ビタミンCは、ニキビや口内炎等、炎症に有効な成分として非常に有名ですね。なので、ビタミンC、ビタミンC誘導体の入った化粧水や美容液を加えるととても効きます。

ただし、ビタミンCは人によっては刺激を感じたり、逆に乾燥を感じることがあるそうですので、ご注意を。使いすぎないことも大事です。

 

次に、オイル。

「いやいや、皮脂の過剰分泌で困ってるのにそこにオイル入れたら悪化するでしょ」と思われる方、めちゃくちゃ多いと思います。

そして、半分正解でもあります。でも半分は不正解です。

何故かというと、「オイルの成分による」からです。

無印良品さんに行くと、スキンケアコーナーにたくさんオイルが並んでます。昨今、オイル美容なんて言葉も聞きますね。

先述した通り、乾燥肌の方は自分で皮脂分泌するのが難しいので、水分を逃さないためにオイルを使うのはとても有効ですし、選択肢も幅広いです。

…お察しですね。そう、混合肌の使えるオイルは、選択肢がめちゃくちゃ少ないのです。

具体的に言うと、お高くなく普通に手に入るものなら、2種類しかないです。

ですが、その2種類であれば、乾燥肌さんと同じように、水分を逃さないために使うことが出来ます。そうすれば乾燥を感じることも少なくなるので、結果として自分の皮脂を過剰に分泌することを抑えられるのです。

 

その2種類とは、「ローズヒップオイル」と、「ホホバオイル」。

オイルと聞くと、オリーブオイル、椿油、アーモンドオイルあたりが思い浮かぶ方が多いでしょう。

残念ながら、全部使えません。

何故かというと、それらのオイルには「オレイン酸」がとても多く含まれているからです。

オレイン酸とは、要するに人間の皮脂と同じ成分。

おわかりですね。つまり、ニキビを作るアクネ菌の大好物。

ただでさえ皮脂分泌が多く毛穴がつまりニキビが出来て困っているところに、潤いを閉じ込められるからといって、皮脂と同じものを更に塗ったら、アクネ菌は餌に大喜び、ニキビは悪化間違いなしです。

一度、保湿クリームとしてアーモンドオイルが主成分のもののサンプルを試しましたが、ピリピリとむず痒くなり、悪い予感がしてすぐに中止しました。

 

では、それらと、ローズヒップオイルとホホバオイルは、何が違うのか?

まずローズヒップオイルですが、ローズヒップオイルには、オレイン酸は少ししか含まれていません。

ローズヒップというと美容に良いハーブティーを思い浮かべる方も多いでしょう。そのイメージの通り、オイルとして抽出しても、美容には効果覿面です。

大きなポイントは、オレイン酸が少ない代わりに、リノレン酸リノール酸という成分が含まれることです。これらは、人間の体内では作れない脂肪酸

オメガ3とか最近よく聞きますよね。そういうやつです。

リノレン酸リノール酸は、簡単に言うと傷や傷跡の治癒効果があります。つまり、ニキビの炎症を和らげて治したり、赤みを抑えたり、破裂したニキビの跡を治すのに有効だということです。

ただし、ローズヒップオイルは期限が短く、2ヶ月程度しかもちません。また、日に当たると光害が起こるため、寝る前のスキンケアにしか使えません。

また、オイルの中で一番値が張ります。

 

次に、ホホバオイル。髪のトリートメントの有効成分としてよく聞きますね。

ホホバオイルにはオレイン酸は含まれていません。ではリノレン酸リノール酸が?

いいえ、違います。

そもそも、ホホバオイルは木からとれたワックス。なので、オイル化する前は固形です。

ですから、草花や果実を絞って抽出した他の植物油とは、そもそも全く違うものです。ですから成分も全く違い、ニキビが悪化するような成分は含まれていません。

ホホバオイルは保湿効果が高く、僅かながら日焼け止めの効果もあり、光害もないため、安全に使え、日中の保湿にはもってこいです。

また、お値段もお手頃です。

ならホホバオイルだけでも良いのでは、と思われるかもしれませんが、ニキビやニキビ跡を治すことを考えるなら、夜はローズヒップオイル、昼はホホバオイルがおすすめです。

 

 

スキンケア用品を選ぶ時の注意

 

スキンケア用品、たくさんあって選び方がわからない方もいると思います。

口コミでは良くても自分には合わない、というものもありますよね。その際、有効成分が合わないのか、添加物が合わないのかを見極めるのも難しいです。

そこで、ここでは大人ニキビに悩む混合肌さんが避けた方が良い成分を紹介します。

 

・アルコール

アルコールは安価なものに多く配合されています。ニキビ悪化の原因の一つ、刺激になるため、避けた方が良いです(私はアルコールが多いものがピリピリするので使えないです)。ただし、某キールズさんでお伺いしたところ、アルコールは保存料として配合する必要があるそうですので、成分表示を見て、下の方に書いてある程度なら気にしなくて大丈夫でしょう。最低限の選択ラインとして、上位に来ていなければ、刺激に感じにくくなると思います。

 

・界面活性剤

水と油は混ざり合いませんが、汚れには水汚れも油汚れもあります。それらをひっくるめて汚れを落とすのに有効なのが、界面活性剤。水という境目と、油という境目にそれぞれ働きかけ、混ざり合うようにする、それによって、ごっそりまとめて汚れを落とすことができます。洗顔フォームに配合されていることが多く、健康被害があるわけでもなく、安全に使用できる成分です。ですが炎症が起きている(起きやすい)ニキビ肌は、外的要因に非常に敏感なので、避けた方が無難です。

 

・鉱物油

石油から作られたオイルのことで、ミネラルオイルとかワセリンが代表です。もちろんスキンケア用品に使われているものはきちんと精製してあり、悪い成分というわけではありません。ただ、植物油と違い、栄養があるわけではないこと、そして、効能としては「油膜を張って保護する」ことが、避けた方が良い理由です。混合肌ももちろん水分を逃さないよう蓋をする役割を持つアイテムは必要ですが、鉱物油の場合、肌との親和性は強くなく、「油膜を張る」なので、混合肌さんの肌には、保護力が強すぎて肌が呼吸できないとか、毛穴づまりを引き起こしやすくなるということがあります。なので、避けた方が良いでしょう。

 

・植物油

先の項目で「オイル」について説明しましたが、それのことです。混合肌さんには合わない植物油が多くあるため、配合されている植物油の種類によっては避ける必要があります。混合肌さんが使える植物油は、「ローズヒップオイル」と「ホホバオイル」のみ。それ以外は避けましょう。ただし、配合量が少なければ問題なく使えることもあります。具体的には、成分表示の半分より下に表記されているなら、試してみてもいいと思います。

 

・防腐剤

いわゆる「パラベン」というやつです。これは、強い殺菌作用によってスキンケア用品自体を腐らせにくくし、開封後も安全に使うことが出来る状態に製品を保つために配合されています。ただし、混合肌さんにはこの成分が刺激になってニキビが悪化することがあります。なので、出来るだけパラベンフリーのものを使いましょう。しかしながら、パラベンフリーのものは、配合されいるものに比べ、「開封したあと、製品の酸化が早く、早めに使い切らないと、余計に肌に刺激を与える」ことがあります。なので、早めに使い切れるサイズを買うのがおすすめです。

 

 

混合肌にオススメのアイテムは?

 

お待たせしました!長い座学にお付き合い頂きありがとうございました。

それでは、上記を踏まえて「頰や顎、フェイスラインにニキビが出来やすい混合肌さん」におススメのスキンケア用品をご紹介します!被験体は私です。

 

【クレンジング】

無印良品 ローズヒップオイル

www.muji.net

ローズヒップオイルは開封から2ヶ月程度で使い切らないといけないのに、無印良品さんのは50ml。夜のお手入れで数滴使うだけではとても使いきれないので、クレンジングにも使えば、保湿効果があるので落としすぎることもなく、美肌成分も取り入れられて、早く使い切れて良いのでは?というわけで、ローズヒップオイルです。

結論としては、めちゃくちゃ良い。ちゃんとメイクが落ちるのにツッパリ感とか一切なし、他のクレンジング使ってた時とは、肌のハリとか艶とかもちょっと違う。使用期限がシビアなローズヒップオイルを早く使い切ることも出来るし、おススメです。

2ヶ月という期限や、毎日使う方はもっと早く買われることを考えると値が張りますが、お風呂上がりのスキンケアにも使うことと効果を考えれば、コスパは悪くないと思います。

メリット:ちゃんと落ちる、刺激がない、肌のハリ艶が良くなる

デメリット:使用期限が早い、値が張る

 

無印良品 マイルドアイメイクアップリムーバー

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これは単純に私のアイメイクが濃いので、別でリムーバーが必要なため使っています。アイテープをつけまつげ用の糊で貼っていても、コットンでゆっくり染み込ませればちゃんと剥がれます。落ち切らない糊はそのあとの顔面全体のオイルクレンジングで落としてます。えぐいほど重ねづけした、ウォータープルーフかつお湯オフ出来ないマスカラもちゃんと落ちます。疲れてる時にゴリゴリメイクを落とすのでなければ、刺激も感じないです。

メリット:香料・鉱物油・パラベン・アルコールがフリー、コスパが良い

デメリット:パラベンとアルコールがフリーのため、早めに使い切る必要あり

 

NARS ジェントルオイルフリーアイメイクアップリムーバー

www.narscosmetics.jp

元々は無印のじゃなくこっちを使ってました。先述したゴリゴリのアイメイクがごっそりスルッと落ちます。落とす力はこっちの方が上だし、刺激も一切ないです。ただ、クレンジングにこのお値段をかけるのはキツイな…というわけで無印になりました。逆に言うと、お値段以外にデメリットはないので、お金に余裕がある方はこちらがめちゃくちゃおススメです。

メリット:オイルフリー、スルッと落ちる

デメリット:お値段が張る

 

洗顔料】

5〜10月:LUSH AQUA MARINA(マリンに恋して)

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ピンク色の泥で出来た洗顔料。泥がしっかりと汚れを落としてくれるのに、海苔など海のミネラルが入っているので、落としすぎて突っ張るとか乾燥することもなく、すっきりしてるのに潤いのある洗い上がりになります。もう2年くらい夏はこれ。暑くなって汗をかきはじめる5月から、乾燥を感じはじめる9月下旬〜10月ごろまでがおすすめです。冬に使うとちょっと強いんじゃないかな。私の場合、5月くらいになると夏にかけて洗顔後ピリピリするので、それを相談した結果、洗顔料の洗浄成分が強いのでは、ということで、これになりました。なので、これには洗浄成分は入っておらず、泡立ちません。もうちょっと落としたい人には、洗浄成分の入った固形石鹸版もあるので、そちらをお試しあれ。お値段…と思う方もいると思いますが、朝晩使うのではなく、こっちを夜、朝は、後述する洗顔料にする等もあり。1日1回使用で、250g2ヶ月くらいもちます。

メリット:洗い上がりがすっきりしていて潤いもある

デメリット:値が張る、使用期限が短い(3ヶ月)

 

11月〜4月:LUSH Let The Good Times Roll(毎日が晩餐)

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とうもろこしで出来た細かなスクラブ入りのペーストタイプの洗顔料。泥は入っていないので、乾燥した冬の肌から必要な水分や油分を落としすぎることはありません。その分、汚れを落とすのはスクラブで、更にオイルで潤いを閉じ込め、すっきりだけどしっとりとした洗い上がりになります。これも洗浄成分は入っていません。冬でもお風呂上がりに乾燥を感じにくい洗顔料です。

メリット:汚れを落とした上でしっとりとした洗い上がりで、乾燥を感じにくい

デメリット:値が張る、使用期限が短い(3ヶ月)

 

朝:ロゼット 洗顔パスタ アクネクリア

ロゼット 洗顔パスタ アクネクリア 120g

ロゼット 洗顔パスタ アクネクリア 120g

 

 夜は汚れを落としつつおやすみ前の優しいスキンケアのためにLUSH、朝は、夜の油分や皮脂、ニキビの薬をしっかり落としたいということで、ロゼットと使い分けています。あとコスパのため…。

この洗顔料も泥(クレイ)で出来ていて、洗浄成分も入っています。なので、泡だてネットでしっかりと泡だてて使います。

洗い上がりはかなりすっきり。夜用の洗顔を切らしていて朝晩これを使った時、どうやら落としすぎと感じたのか、少し肌調子が下がりました。なので使いすぎに要注意。

だいぶ前から使っていますが、選んだ時に成分表示見たら、界面活性剤・パラベン・アルコールがフリーだった…気がするんですが、品物や公式サイトには明記されていないので、もしかしたら見慣れない成分名で配合されているかもしれません。

メリット:コスパが良い、着色料・鉱物油フリー

デメリット:朝晩使用だと落としすぎになることがある

 

【導入液】

無印良品 導入化粧液

www.muji.net

化粧水の前に、化粧水が浸透しやすくするためのアイテム。刺激なく使えます。ツバキ種子エキスが入っていますが、上位というほどでないのと、オイルの状態ではないからなのか、特に問題なく朝晩使っています。

パラベンとアルコールがフリーなので、早く使い切る必要があるため、容量を選ぶ際は要注意。お試しの50mlは2週間くらいで使い切ったので、私は200mlを買っています。

メリット:香料・着色料・鉱物油・パラベン・アルコールフリー、トラベル用サイズがあるのでお試しが出来る

デメリット:パラベン・アルコールフリーのため早く使い切る必要がある

 

【化粧水】

イミュ ナチュリエ スキンコンディショナー ハトムギ化粧水

ナチュリエ スキンコンディショナー 500ml

ナチュリエ スキンコンディショナー 500ml

 

使ってる人がめちゃくちゃ多いハトムギ化粧水。ハトムギエキスには保湿、美白機能があり、また、エキスになる前の種の状態のハトムギの皮を向いたものは「ヨクイニン」と呼ばれていて、漢方ではイボ取りとか抗腫瘍効果がある生薬とされています。要するにできものをサヨナラバイバイしてくれる成分です。また、余計なものがあまり入っていないのも良い点で、何より価格が安く、バシャバシャ使いやすいです。ただし、配合量はかなり少ないですがアルコールの一種「エタノール」が含まれ、パラベンフリーではありません。が、私はニキビ全盛期から全く問題なく使えています。

メリット:できものを取れやすくする効果がある、配合成分が多くない、価格が安く気兼ねなく使える

注意点:成分表示下の方に「エタノール」記載がある、パラベン配合

 

無印良品 敏感肌用薬用美白化粧水 高保湿タイプ

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ビタミンCとビタミンC誘導体の入った化粧水。基本的にビタミンC等が配合の化粧水は気兼ねなくバシャバシャ使えるほど安価ではないのと、ビタミンCが刺激になりうることを考え、使いすぎによる刺激を避けるため、ハトムギ化粧水をバシャバシャして水分を入れたあとに、オイルを混ぜて使っています。有効成分を効かせることを考えるとハトムギの前に使う方がいいのかもしれないけど、ビタミンCの刺激や乾燥の可能性を思うと、先にハトムギで水分入れてからの方が肌がびっくりしないかな…と考えてます。一回順番を逆にして試してみたい。名称は美白化粧水ですがニキビにも効果覿面。

パラベンとアルコールがフリーなので、早く使い切る必要があるため、容量を選ぶ際は要注意。お試しの50mlは2週間くらいで使い切ったので、私は200mlを買っています。

メリット:香料・着色料・鉱物油・パラベン・アルコールフリートラベル用サイズがあるのでお試しが出来る

デメリット:パラベン・アルコールフリーのため早く使い切る必要がある

 

 【オイル】

朝:無印良品 ホホバオイル

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先述した通りの理由と効果のため、朝はホホバオイル。美白化粧水に3滴ほど混ぜて使っています。ちなみに当然ですが成分は100%ホホバオイルです。冬に同じ使い方で乾燥を防げるのかどうかが今後の見どころ。なんなら髪のトリートメントにも手肌の潤いのためにもクレンジングにも使えるので、持っていて損は絶対にない。

メリット:香料・着色料フリー、常温保管でも保存期間が長い、トラベル用サイズがあるのでお試しが出来る

デメリット:多分ない

 

夜:無印良品 ローズヒップオイル

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夜はローズヒップオイル。ローズヒップオイルは色々なスキンケアメーカーさんが出していますが、高価なものは本当に高価。例えば精製の仕方がもっと細かくて純度が高くて、その分効果も強い…のかもしれないけどオタクがかけれる金額ではないので、手頃な無印さんにしています。それでももちろん成分100%です。

夜にクレンジングとして使い、更に美白化粧水に5〜7滴くらい、贅沢に入れて使っています。私の場合は、これくらいならオイルが多すぎると感じることはないです。

ローズヒップオイルの使用期限が短いことは散々書いてきましたが、更に、保管の際は冷蔵庫に入れておく必要があります。常温だと酸化が早くなり、ただでさえ早い使用期限がもっと早くなるので、要注意。

メリット:ローズヒップオイルの中では安価なため試しやすい、ニキビ跡が薄くなったりニキビができても大きな炎症になりにくくなる、ハリ艶が良くなる

デメリット:酸化が早く保存期間が短いので、早く使い切る必要がある(2ヶ月程度)、光害があるため夜間しか使えない、要冷蔵保管

 

【美容液】

無印良品 敏感肌用薬用美白美容液

www.muji.net

先述した化粧水と同じシリーズ。成分も殆ど同じです。化粧水2種類のあとにワンプッシュを顔全体に塗り込んでいます。

実は最初にスキンケア用品見直しで導入したのは、この美容液だけ。当時は導入液もオイルも美白化粧水も使っていませんでした。これだけでも随分ニキビが沈静化したので、スキンケアのステップが多すぎるのが嫌な方や、とりあえずお試ししてみたいという方は、まず普段のスキンケアにこれを加えるだけでもだいぶ調子が変わると思います。

ただ、私の母は使用して1週間程度で肌がピリピリするようになったので、やはりビタミンCの直塗りは合わない方もいらっしゃいます。ご注意を。

これ一本で1ヶ月〜1ヶ月半くらいもちます。

メリット:香料・着色料・鉱物油・パラベン・アルコールフリー

デメリット:ビタミンCが刺激に感じることがある、パラベン・アルコールフリーのため早めに使い切る必要がある

 

【ジェル】

イミュ ナチュリエ スキンコンディショニングジェル(ハトムギ保湿ジェル)

ナチュリエ スキンコンディショニングジェル 180g

ナチュリエ スキンコンディショニングジェル 180g

 

化粧水とシリーズでずっと使っている保湿ジェル。乳液は、夜は良いけど朝はメイクするのを考えるとベタつくし…ということで、ジェルを乳液代わりにしています。

ニキビ全盛期でも刺激を感じず使えました。

油分に頼らず潤いキープ、と謳っているのでオイルもフリーだと思いますが、オイルフリーとは書いていないので、気になる方は成分を調べましょう。

メリット:香料・着色料・アルコールフリー

デメリット:パラベン配合のため注意が必要

 

スペシャルケア】

LUSH MASK OF MAGMAMINTY(パワーマスクSP)

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ベースはペパーミントと泥、そこに細かく砕いた小豆の入ったスクラブ。 泥とスクラブで汚れをごっそり取りつつ、ハチミツも入っているのでしっとり潤い、ペパーミントでしゃきっとした仕上がりになります。

頻度は週一、使うと本当に肌がツルッとする。慣れてくると、「あ、そろそろパワーマスク使いたいな」と思うようになります。なんか肌の表面に老廃物とか溜まってる感じがする。

めちゃくちゃスッキリするのに全然しげきにならないのでとてもオススメ。ただし使用期限は4ヶ月と短い。

私は小さい方の125gで2〜3ヶ月保つので、大きいのは買えません。使用頻度や一度に使う量で容量を選びましょう。

メリット:とにかく肌の不要物が綺麗さっぱりなくなってすっきりする、毛穴づまりの原因が取れるのでニキビができにくくなる

デメリット:使用期限が4ヶ月

 

Kiehl's レアアースマスク

www.kiehls.jp

いわゆる、泥パック。暑くなってきて、小鼻の角栓があまりに気になりすぎて気が狂いそうになった時に行きつけのNARSのお姉さんに教えてもらいました。

これ単体で小鼻の角栓がごっそり取れるわけではないけど、使うと、詰まってる角栓がひょこっと顔を出してくれるので、お掃除がとってもしやすくなります。使ったあとに綿棒にオイルをつけて、白く飛び出てる角栓を毛穴の向きに沿って、ブラシでもかけるように優しくこすると、ごっそり取れます。使い続けていると、角栓が取れやすくなるのか、綿棒でのお掃除がめちゃくちゃ楽になります。人によっては、これだけで小鼻の角栓も取れるかもしれない。

小鼻以外のお肌の汚れは、お掃除必要なくこれだけでOK。

使用頻度は週2〜3で、1個で3ヶ月くらいは保ちます。

顔全体に広げたあと、顔が燃えるようにかーっと熱くなるけど、それは泥が密着して汚れを吸着してるから起こるそうなので、全く異常ではありません。本当に尋常じゃなく熱くなるので、その時点で合わないと思って辞めてしまう人多数だそうですが、耐えて使ってみてほしいです。

メリット:肌の老廃物や不要物が取れる、小鼻の角栓が取れやすくなる

デメリット:使用中に顔が熱くなるので異常だと感じやすい

 

LUSH フレッシュフェイスマスク CATASTROPHE COSMETIC(ベリーお元気?)

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推しとの接触の前に使うスペシャルケア。こっちは5月〜9月下旬くらいまでの、汗をかく時期に使っています。

消炎作用と、赤みを抑える効果と、紫外線ケアの効果があるマスクです。何が言いたいかというと、「ニキビを沈静化し、ニキビ跡の赤みを抑えてくれる」効果がすごいということ。

接触イベントの日から換算して4日前から、毎晩洗顔後にこれをたっぷり顔に塗って、湯船に10分くらい浸かり、マッサージしながら落とします。

と!!!お風呂から出たら、顔が全然赤くない!ニキビや小さいニキビ等による赤い色むらがない!!!

毎晩やると最終日にはツルツルで赤みのない、あたかも健康な肌に…!!!

ちなみに生理前のどうしようもないニキビにも効きます。

開けたら2週間で使い切りだったかな?なので、2〜3日に1回使うのも良いですし、日常ならそれでちょうどいいと思います。

が、4日間集中ケアが一番効果があります!

なので、推しとの!接触があるオタクは!集中ケアが一番おすすめ!!!

あと私でも夏以外に使ったらちょっと強いかも…と思うので、肌がちょっと弱いかも、という方は下記の人魚姫を試してみて、足りないようならこちらにする方がいいと思います。

ちなみに、LUSHを利用している方はご存知かと思いますが、洗顔料等が入っている、あの黒い容器を5つ集めると、フレッシュフェイスマスクシリーズのどれか1つと交換できます。なので私は基本容器を貯めておいて、接触の前に交換させて頂いています。

メリット:ニキビやニキビによる赤み・色むらを抑えてくれる、健康的な肌に整えてくれる

デメリット:元々の使用期限が短く、開封すると1〜2週間で使い切らないといけない、要冷蔵保管

 

LUSH フレッシュフェイスマスク BB seaweed(人魚姫)

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推しとの接触の前に使うスペシャルケア、乾燥してる時期バージョン。こちらは10月くらい〜4月ごろの、乾燥している時期に使います。

使用方法、効果は上記の「ベリーお元気?」とほぼ同じ。夏に使ってもがっつりさっぱりとする「ベリーお元気?」に比べ、ややマイルドで、その差は何かというと、ミネラル等潤いがしっかり含まれていることです。

なので、乾燥の気になる時期はこちら。先述した通り、肌が弱いかもという方や、LUSHが初めての方は、こっちから使ってみる方がおすすめです。

メリット:ニキビやニキビによる赤み・色むらを抑えてくれる、健康的な肌に整えてくれる、乾燥を防ぐ

デメリット:元々の使用期限が短く、開封すると1〜2週間で使い切らないといけない、要冷蔵保管

 

 

スキンケアのステップ

 

それでは、おすすめアイテムを使用したスキンケアのステップをご紹介します。

一応色々調べはしましたが、美容家ではないので、間違っている可能性もあります。

申し訳ないですが、鵜呑みにはせず、疑問のあるところは各自おググりください。

 

ステップ1:クレンジング

→マイルドメイクアップリムーバーをよく振り、コットンに取って、アイメイクとリップを落とします。落とし方は、瞼を伏せた上からコットンを暫く当てて馴染ませてから、揉み込むようにしてマスカラ等を溶かします。

    NG:ごしごし擦らないようにする。コットンは当てたら殆ど動かしません。

ローズヒップオイルを500円玉くらい手に取って両手に馴染ませ、顔に広げていきます。顔全体をマッサージするようによく馴染ませたら、濡らして絞ったコットンで拭き取ります。

    NG:手を上下に動かさないようにする。特に鼻周りの毛穴は上から下に向かっているため、毛穴が詰まりやすくなります。横方向に動かしましょう。

 

ステップ2:洗顔

→夜の場合:顔を濡らし、LUSH洗顔料を適量とり、お湯を混ぜてペーストをゆるくしていきます。顔に乗せても摩擦が気にならなさそうな程度までゆるくしたら、顔に伸ばし、顔全体をマッサージするように優しく洗います。最後にぬるめのお湯でしっかりとすすぎます。

    NG:ごしごし擦らない。力を入れない。手を上下に動かさない。

→朝の場合:顔を濡らし、ロゼットの洗顔料を5ミリ程度取り、水を含ませた泡だてネットでよく泡だてます。泡を手のひらに絞り出したら、手が触れないように、泡で優しく泡います。最後にぬるめのお湯でしっかりすすぎます。

    NG:ごしごし擦らない。力を入れない。手を上下に動かさない。泡を潰さない。手が直接顔に触れないようにする。手が触れるようだと力加減が強く、摩擦が起きてよくありません。

 

ステップ2-2:パワーマスク

→顔全体が緑色になるまで、パワーマスクを塗り広げます。そのまま10〜15分放置し、両手で優しくマッサージしてからぬるま湯でしっかりとすすぎます。放置している間に湯船に浸かったりする等、お風呂の中で使用してOK。

    NG:ごしごし擦らない。

 

ステップ2-3:フレッシュフェイスマスク

開封した時の量の4分の1を顔全体に塗り広げます。そのまま10〜15分放置し、両手で優しくマッサージしてからぬるま湯でしっかりとすすぎます。放置している間に湯船に浸かるのがおすすめ。

    NG:ごしごし擦らない。使う直前まで冷蔵庫に入れ、使用中は浴室内に放置しない。使い終わったら冷蔵庫に戻す。

 

ステップ2-4:レアアースマスク

→湯上りの汗が引いたら、顔全体が真っ白になるように塗り広げます。そのまま15分放置し、ぬるま湯でしっかりとすすぎ落とします。

    NG:顔が熱くなっても我慢する。すすぐ時に擦りすぎない。すすぎ残しがないように気をつける。

 

ステップ3:化粧水

→まずは導入液を50円玉くらい取って顔に伸ばします。次に、ハトムギ化粧水を手に多めに取り、顔全体に伸ばしていきます。ハトムギ化粧水は5〜10回くらい、肌がひんやりするまで繰り返し塗ります。パッティングもOK。フェイスライン、顎や首も忘れずに。

    NG:ごしごし擦らない。

→敏感肌用薬用美白化粧水を500円玉くらい取り、夜ならそこにローズヒップオイルを5〜7滴、朝ならホホバオイルを3滴入れ、よく混ぜてから顔に伸ばします。フェイスライン、顎や首も忘れずに。

    NG:ごしごし擦らない。目の周りには塗らない。

 

ステップ3-2:フェイスパック

→市販の、手持ちの化粧水で行うタイプのシートマスクにハトムギ化粧水を染み込ませ、顔に乗せます。10〜15分放置し、外します。

    NG:ハトムギ化粧水と美白化粧水の間にやる。美白化粧水を塗る際、オイルを混ぜるため、その後に水分は入りにくいため。

 

ステップ4:美容液

→敏感肌用薬用美容液をワンプッシュ取り、顔全体に伸ばし、よく馴染ませます。フェイスライン、顎や首も忘れずに。

    NG:ごしごし擦らない。目の周りには塗らない。

 

ステップ5:保湿ジェル

ハトムギ保湿ジェルを10円玉より気持ち多めに取り、顔全体に伸ばし、よく馴染ませます。フェイスライン、顎や首も忘れずに。

    NG:ごしごし擦らない。

 

※ステップ2-2〜4、3-2は、スペシャルケアをする時に組み込むタイミングです。必要ない時は飛ばしてください。

 

以上が、2ヶ月間徹底検証した、大人のニキビ肌のためのスキンケア実録でした!

 

今回足したのは、導入液、美白化粧水、美白乳液、オイル2種、レアアースマスク。

それ以外のアイテムは前から使用しています。

これらを導入する前は、保湿にワセリンやらニベア青缶やら使ってたんですが、全くいらなくなりました。ていうか今考えたら私の肌にワセリンやニベアはないな。

今年の初め頃に推しとのチェキ会があった時は、人魚姫で集中ケアして普段よりましな肌になっていても、数カ所にニキビがありました。

が、これらを導入してみたら、その集中ケアした時の肌より、もっともっと綺麗になりました。ビタミンCってすごい。

その分手間は増えたけど…。年齢には抗えないですね…。

 

ご紹介したのは比較的安価かつ入手しやすいアイテムばかりだと思います。

美容に詳い方は「知ってるし、もっといいアイテムあるよ!」と思われるかもしれません。

が、私は俳優さんのオタク。推しにつぎ込んでいて、割けるお金に限りのあるオタク。だがしかし、きちんと身なりを整えたいし、推しの前では最低限、人間になりたいオタク。

なので、比較安価か入手しやすいアイテムを試し、ご紹介しました。

 

あと、スキンケアはとても大事ですが、同じくらい生活習慣とお医者様も大事です。

このスキンケアをしてると、多少疲れたりしてもニキビがすぐできることはないし、できてもおおごとになることはそうそうないですが、それに甘えて不規則な生活をしていては治るものも治りません。

ニキビを撲滅するための生活習慣として、

・ジャンクフードは控える

・外食や出来合いはなるべく避け、調理の際はサラダ油ではなくオリーブオイルかごま油を使う

・適度な運動をして老廃物を外に出す

・基本的には22時〜遅くとも0時までに就寝する

・なるべくオールや徹夜等は避ける

この辺りをおさえておくと、悪化しにくくなります。

あと、人によっては、小麦が合わないことがあります。私は全盛期がそうで、小麦を一切絶ったら症状がましになりました。

それから、お医者様にきちんとかかりましょう。私も今でもかかっています。

もらっているのは塗り薬のデュアックと、飲み薬のミノサイクリン。デュアックは比較的新しい薬ですが、めちゃくちゃ効きます。

本来はニキビ跡を治すためにアダパレンも併用する(前はしていた)のですが、私のニキビがあまりにも広範囲にできるので、デュアックをスポット使いじゃなく顔全体に塗り、アダパレンはお休み、という方向で今は治療中です。

 

大人ニキビ、思春期より恥ずかしいし、どうにかしたいのに治らないし…で詰むので、少しでもお役に立てれば!

目指せ大人ニキビ撲滅!同士たち、頑張りましょう!

お読み頂きありがとうございましたー!

ジャージー・ボーイズBlue/ニック・マッシについて

なんと半月も空いてしまいました…。
前回、前々回と、閲覧やスターありがとうございます!うわー!これがスターかー!これは何だ!?引用スター!?何その機能!って言ってたら半月が経ちました。おかしいなあ…。
沢山の方に読んで頂けて驚きと同時に嬉しく思います。ありがとうございます!

さて、ついに始まりました。
ジャージー・ボーイズ
一年前に推しから「告知の花火!」とお知らせ頂いてから、本当にあっという間でした。
観てきました。まだ観るんですけど。
もう、とにかく、最高がすぎる。すごい。
というわけで、今回は感想を書きます!!!なんだかんだちゃんと推し事らしいこと書くのひっっっさしぶり!!!
初見の印象を残しておくのって凄く大事だし、私は書くと解釈が進むんですよ、だからいつもは携帯のメモ帳に書いたりするんですけど、ブログに書いてみようと思います。ちょっと恥ずかしいな。

超絶怒涛のネタバレをもりもりしていきますので、まだ観ていない方はご注意下さい※

それから、先に書いておきますが、あくまで個人の感想です。
チームBlue初見における、主に推しと、推しが演じるニック・マッシがどうだったかみたいなことを個人の感想で騒いでいるだけなので、ご承知おき下さい。
ネタバレが嫌な方、個人の解釈に興味がない方、是非ともここでお別れを。
あと読んでる途中で「なんか違うな」って思ったらその時もお別れしましょう。
サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。

 

 

 

いやあああああああもうさ、歌が!!!すごいの!!!なんのって!!!知ってたけど!!!!!!!!
私は紙面に並ぶ活字を読み解く「読解」が優位なので、ほかの人から見てどうであろうと、私の中では比較して、耳から入る音はさほど優位じゃない。
だから今まで、旋律やハーモニーそのものに感動をするってことがなかった。読解優位だから、歌詞が先にあった。
んだけど、ジャジボはそんなん余裕で越えてきた…。初めてハーモニーに感動した。
一幕が開けてすぐ、鳥肌が立ってた。開幕は一瞬、何が起きてるのかも理解できなかった気がする。それくらい、圧倒された。すぐに頭がついていくことができなかった。
でも、みんなが歌う。たったそれだけ、でもその瞬間に、理解も圧倒も何もなくなった。まるでタイムスリップでもしたかのように、スッと世界に入り込んだ。というより、気付いたら、その世界に立ってた、そんな感じで始まった。
歌が上手いとかどこがどうとかは、私は門外漢なので語らないけど、とにかく、歌、音楽の持つパワーがすごい。グッと惹き込まれる。

私はいつも、初見の時、序盤ある程度のところまでを使い、自分の感性のチャンネルを合わせる。作品がコメディなのか、シリアスなのか、ラブストーリーなのか。どういう世界観なのか。誰が出てくるのか、誰がどんな立ち位置や背景なのか。そういうものを総合して、何を伝えようとしているのか。作品に合わせて、私の受信チャンネル、つまり感性のチャンネルを合わせるのだ。普通なら、「笑いたいからコント見よう」「思い切り泣きたいからあのドラマ見よう」とテレビのチャンネルを合わせるだろう。その逆バージョンだ。
でもジャジボは、そんなもん何も必要なかった。ただ、そこに世界があった。あの頃のジャージーの世界が。当時を生きていた彼らがそこに、ただ、存在して、ただ、生きていて。探るもへったくれもない。私は、ただ、同じ時代、同じ場所に、生きている。必要なものはたったひとつ、それだけだった。
感性のチャンネルを合わせる必要がない。それほど、この作品は、五感、いや、六感も含め、ダイレクトアタックしてくるものだった。まるで疑似体験をするか、それ以上の現実感と、何より登場人物みんなの、吐息が感じられた。息をしている、すぐそこで。普通にそれぞれの人生歩いてる、目の前で。
私はもしかしたら、工場の労働者かもしれない、ダイナーでクマを作って働く女の子かもしれない。そう思ってしまう、というより、上演中は普通にそう錯覚してた。

そう感じられるような脚本や構成なんだと思う。もともと。彼らが歩んできた物語というのは(もちろんこうした作品にするにあたって脚色が加えられているにせよ)、ジェットコースターみたいな道で、でもそれは案外、金曜の夜は飲んだくれて土曜の朝は頭痛、みたいな、私たち一般労働者と、そんなに変わりがない。凄く、すごく近いんだと思う。今、現代の日本に住んでいる私たちの環境と、あの頃彼らが歩んでいた道の環境っていうのが。
私たちだって、労働力を搾取しようとする会社だとか上司だとかから、いかに身を守るかを、いつも考えさせられてる。
私たちだって、平穏の中で、自分がうつくしいと心底思えるもので時間を満たしたいと思ってる。
私たちだって、クラスの人気者になりたくてもなれないことの方が多い。自分より集団を重んじて軋轢を避けるために「みんなの思うとおりに」することなんかたくさんある。
私たちだって、社会のしがらみのために家庭をなくしたり、その逆もある。
そうやって、苦しんで、時には狂って、もがいて、それでも愛する人や狂おしいほどの魅力ある何かを捨てられなくて、みじめに思ったりしながら生きている。
本質的にすごく近いものを感じる。そういう脚本や構成なんだと思う。
そしてそれを、とても的確に汲み取ってアウトプットされている。
みんながひとつの方向に向かって、全力尽くしてるっていうのが肌で感じられる。私は、それが凄いと思う。
台詞、言葉のひとつひとつ、言い方、表情、声色。照明。衣装。音楽、それをより美しく伝えるための音響。歌。ハーモニー。素人耳には寸部の狂いも感じさせない音色。
五感の全てにMAXダイレクトアタックされると、六感てこんなに開くんだなって実感した。
で、それが出来るのって、私はよくわかってないけど、演出の先生の采配なんじゃないかと思う。
藤田先生が細部まで的確に汲み取っていて、裏付けもしていて、その上で頭に世界を描いて、それをみんな、本当にみんなに伝えて、そして、裏方も含めみんながそれを共有しているからこそ、こんなすごい空間が生まれているんだと思う。
こう、脚本とか構成とか音楽とか台詞とか、一切の無駄がない。あるもの全部を使って、そこからないものまでもをつくりあげ、余すところなく何もかもをぶん投げてくる。
例えるなら、観客が構えているグローブにしっかり狙いを定め、全身全霊をかけた剛速球を投げ込むような。
なんて力なんだろう。でもそれって、藤田先生の中の像がはっきりとあって、それをみんなが共有しそこに進もうとする、それがなかったら起こりえない力なんだと思う。だから、もう、藤田先生の采配も、カンパニーも、すごい。それしか言いようがない。
私は藤田先生はTMO、ジャジコンに引き続き三度目なんだけど、TMOの時に演出力っていうのをものすごく感じたから、ジャジボやばいぞって思ってたけど、改めて、すごい以外の言葉を失った。
実際に見ると凄く人の良さそうな、控えめそうな方なんだけどね…どんな頭の中身なんだろう…座談会とかしてくれないかな…。

私の推しはspiさんなんだけど、私は、spiさんのことを信頼している。だからまず緻密な役作りとお芝居は確実だろうと思ってた。加えて、歌は絶対、門外漢の私なんかが予測出来る範囲を超えた仕上がりにしてくるってこともわかってた。
んだけど、推しの、仕上がりに、私は、まあ、もう、ビビった。えっ、チームBlueのニック・マッシってspiさんだよね???
私はまだ追って1年半だから、これは、その間にたまたま聞く機会がなかっただけなのかもしれないんだけど。
推しって、高音が得意、っていうのが、自他共に認める一番の音楽的魅力なんだと思う。自覚していて、ファンもそれを期待しているし、制作サイドもそこをピックすることが多い。だから、私がたまたま聞く機会がなかっただけなのかもしれない。
だけど、それにしても、低音がえっらい伸びてて、もーびっくりした。伸ばしてくるのは予想してたし、ボイトレ行ってるんだろうなとも思ってたし、稽古超きっっっついだろうなっていうのも前から予測してた。パワーアップして帰ってくるのはわかってた。それにしても、「え!?声が確実にspiさんの声だけど、え!?こ、こんな音をこんな声で出せるようになったの!?」だった。最初半信半疑だったんだけど、「A Sunday Kind Of Love」で「マジじゃん……」って思って涙ぐんでしまった。声帯が超絶レベルアップしてた。
ジャジコンで聞いた時は、「きっとここから更に伸ばしてくるだろうな」っていう感じだったんだけど、更に伸びに伸びておりました。
私が推しと出会った時の作品では、低音はキツそうだなっていう印象は、正直あった。それが、去年末に同じ役をやった時、低音レベルアップしてて大号泣した。それでも、喋って歌っての個人イベント昼夜ってなると、夜の後半はちょっと声枯れかけかなってなってた。声帯にダメージがあると、こう……音の終わりに、えへん虫みたいなのが出るから。それが、先月の個人イベント昼夜は、最後まで枯れなくなっていた。たまに裏返ることがあっても、裏返ることによる声帯へのダメージなんかもろともせず、最後まで貫くような安定した圧があった。その時に「これはジャジボすごいのでは…!?」って思った。
本当に、そうだった。
私はチームBlueしか観ていないのもあるから、とにかく推しがすごいってめっちゃ言うけど、もちろんWhiteも観た方の中には、忌憚ない意見もあると思う。
でも、私は、もしかしたら出せたのかもしれないにせよ、それでも得意分野ではなかっただろう低音という、これまで聞いたことのなかったspiさんの新しい歌声が聞けたことが凄く嬉しい。ここに向かってめちゃくちゃ頑張ってきているのも知っていたから、それがこんなに大きな実りになっていて、凄く嬉しい!
きっとこれからも、色んなところを伸ばしていくんだろうな。もりもり伸びるんだろうなって思ったし、それを見るのが凄く楽しみになったし、だから死ねないな!って思う。
推しが、あのメンバーの中で、(少なくとも私のような素人耳には)寸部狂わず美しいハーモニーを奏でているって、凄いことすぎる。寸部狂わず、負けることも、出過ぎることもなく。そこにも凄く感動してしまって、何か推しが歌う度に涙ぐんでいた。
そんでもって、低音て伸ばせる範囲が限られてるし、推しは高音を見出されてきているから、素人耳には低音やらせようなんて思わないんだけど(ご、ごめんね)、それが出来る、伸ばせる、伸ばせばできるって判断されたことが凄いことすぎる。判断した方も凄いし、判断された推しのポテンシャルも凄い。凄いしか言いようがない。
本当に、キャスティングにも、厳しいお稽古にも、推しの並々ならぬ努力にも、圧倒的感謝。本当にありがとうございます。

お芝居はですね。この、観てから3日くらい経つまで、正直あまりに音楽のパワーが圧倒的すぎて、全然考えられなかった。私が耳優位でないにも関わらずハーモニーに感動するっていうことが起きてしまったので、完全にキャパオーバーしてて。で、やっと考えられるようになってきました。大変だった。
推し、役作りやお芝居が、凄く緻密で、私はそこが物凄く魅力的だと思ってる。完全に別人格っていうか…役者っていうお仕事を鑑みれば、それは出来て当たり前なのかもしれないけど、私から見ると、一瞬の隙もなくて、そこが凄く好き。役という状態を超えて、その「人」として息をしている感じがして。これは私の主観の感覚としてだけど、多分、推しの役のアウトプットの仕方と、私の好む表現っていうのが、合致してるんだと思う。いつも感覚にダイレクトアタック。
今回も緻密だった。いやまだ一回だけだし、後方だったから表情とか微妙な変化っていうのは見えてないんだけど。

ここから特に圧倒的ネタバレね。
まず、推しを介したニックという役の解釈。

推しの演じるニック・マッシは、ある種、平凡なんだと思った。
もちろん音楽の才能がある。でもフランキーほどじゃない。彼ほど抜きん出た凄まじいものを持ってるってわけじゃない。
グループを円滑に回すことはできる。でもトミーのようにみんなをグイグイ引っ張っていくタイプでもない。
じゃあゴーディオのように曲が書けるかっていうと、そういうわけでもない。
ニックだけが、「人の目に見えるところ」に抜きん出たものがない。
つまり、有り体に言えば、平凡な人なんだと思う。
いや、音楽の才能は凄いんだよ。フランキーの後ろでコーラスできるほどなんだから、それは凄い才能なんだけど、フランキーが凄すぎて、グループ内では比較して霞んでしまいがちなんだよ。多分。
フォー・シーズンズ自体が、夢のために駆け回ってるのか、それとも夢に翻弄されてるのか、微妙な、若く、突き走る感じだった。そういう時代だったんだと思うし。
ニックには夢があったんだと思う。漠然とした、「スターになる」っていうやつ。
もしかしたら、最初は、たったひとり、つまり奥さんのスターになれればそれで良かったかもしれない。でっかい夢が、明らかに夢だってわかる場所にあったなら、たったひとりのかけがえのない小さなスターとしてこつこつ歩んだのかもしれない。
でもトミーに誘われて、フランキーに出会って、この道に乗れば俺も本当のスターになれるって思った。つまり、沢山の人のスターになるっていうでっかい夢が、頑張って手を伸ばせば掴めるかもしれない場所に近付いた。
「誰だってスターになりたいもんだ」みたいなことを最後に言うけど、紐解いていくと、愛されたいとか、認められたいとかっていう、漠然とした大きな欲求なんだと思う。
ニックはそこが欠けていて、いつもそこを埋めるのに奔走してきたんじゃないかなと思う。
でも、多分、ずっと思い通りには埋めてこれなかったんだろう。ニック自身が望むほどの愛情や承認を得られたことがなかったんじゃないだろうか。
誰だって、心の中にある泉は、大きさが違うものだ。それを満たすのに必要なものも、その量も違う。ニックが人より大きい泉を持っていたのか、それとも、人並みの泉だったけど幼少期にきちんと満たされてこなかったから枯渇が日常化してしまったのかはわからないけど、とにかく、ニックは、愛情や承認という水や栄養で自分の心の泉を満たしてこれなかった。
グループの中では年齢も相まって一番早く結婚していたし(だよね?確か)。妻という存在がいれば、少なくとも一箇所からは、愛情や承認というものの安定した供給が見込める。それに、うまくいかなくなっても離婚しなかったから、愛していたのは事実なんだと思う。
女性好きというのも、そうかもしれない。スターグループの一員になったニックには、きっと数え切れない女の子が寄ってきただろう。女の子が寄ってくるっていうのは、それだけでスターの勲章みたいなものなんだと思う。それによって承認は一時的に満たせる。これは憶測だけど、抱いた女の数が多ければ男として格上、みたいな価値観もあったのかもしれないし。抱いている間だけは、女の子はかりそめでも愛情をニックに向けるし、包み込んでくれる。
それからお酒も、うつつを忘れさせてくれるから、鍵だったんだろう。つまり、グループの中では目立つわけじゃないっていう、劣等感みたいなもの。
彼には、その劣等感を忘れ、そして、愛情や承認を向けてくれる人が必要だった。そうなんじゃないかな。
でも同時に、そうやって、一時的な快楽で満たすのが本当の解決じゃないことも、ニックはずっとわかってたんだと思う。
グループに入った頃のニックは、まだ、奥さんのたったひとりのスターであることと、沢山の人のスターになることの違いと、大切さと、それから、欲求が、ちゃんと答えを出せてなかったんじゃないかな。奥さんのたったひとりスターであることは理解していて、大事にも思っていて、誇らしくもある。でも沢山の人のスターになるっていう夢のまた夢だったものが、頑張れば掴めそうなところに近付いてきたとわかった時、彼はその大きな欲求に対して、冷静な答えを出せなかった。奥さんを取るのか?欲求を取るのか?それとも、その中間で、奥さんに誠意を尽くしながら欲求も満たすうまい活動の仕方を考えるのか。
ニックは、その中間で、両方欲しい、だったんだと思う。あの頃まだ若かったしね。
でも、二兎を追うものは一兎も得ず、という言葉があるように、彼もまた、どちらも、彼にとって完全な状態では手に入らなかった。
両方欲しい。その結果、奥さんとはうまくいかなくなったし、グループの中でもいまいち前に出きれず、グループ内で人気の優劣をつけるなら、劣にあった。
多分、なんだかんだ若かりし頃のニックも、なんとなく悟ってはいたんじゃないかな、とは思う。ただ、悟ることや理解することと、感情とは全く別だから、感情がついてこなかっただけで。感情がついてこないから、うまくできず、両方欲しがって、両方手に入らなかったんじゃないかな。
かといって、両方手に入れるためにうまくやるとか、野心家になるってところにも、行き着けなかった。例えば、トミーのように、自分から積極的に行動するとか、そういうことができなかった。
というのは、結構最初の方で、なんだったか、みんなの決めたとおりにする、みたいなことを言っていた。それから何度も、「俺も自分のバンドを作ろうかな」とも言っていた。でも彼は作らなかった。彼には、作れなかった。
なんでかって、彼には、抜きん出たリーダーシップとか、あるいは、肝ってものが、あまりなかった。それを自分で理解していたからだ。
つまり、自分のバンドを作ったところで、トミーのように肝の据わったメンバーが必要だったし、ゴーディオのようなヒット曲を書けるメンバーなり作曲家なりが必要だったし、そして、このグループを超えるスターになるなら、フランキーのような音楽的魅力のある人が必要だった。結局のところ、自分のバンドを作ったって同じことだってのが、わかってたんだろう。しかもこれだけ才能に恵まれたグループなんだから、それをわざわざ降りて博打をするほど、ニックは浅はかじゃない。
同じことなんだったら、ここにいる方が余程楽だ。だってトミーが引っ張ってくれるし、ゴーディオが曲を書いてくれるし、フランキーが歌ってくれる。じゃあ自分は?
そこで初めてニックの個性が出てくる。グループを円滑に回すこと、だ。彼にあるのはそれだけだったんだと思う。つまり調整役だ。自分で言っていたけど、トミーと10年も同室っていうのは、そりゃあしんどい。でも、才能あるフランキーとゴーディオには、音楽に集中してもらわなきゃならないし、トミーが必要であることも、よくわかってる。
だから自分が、トミーの受け皿になる必要があった。ニックの役割は、そこだった。年も上だったし、あのメンバーの中では抜きん出たものがあるわけじゃないニックが、スターであり続けるには、その役割を担う必要があると、彼は考えたんだと思う。
ニックは確かに調整役にはうってつけだったと思う。きっかり正午に起きてご飯を食べる…だったっけ?ルーティンを崩さない几帳面さがあるし、目先と、もっと先、周囲をよく見渡せる、視野の広さもある。それに、なんだかんだグループに留まることとかは、口先だけとも取られるかもしれないけど、それは反面、慎重さや思慮深さの証だ。集団には、そういう人が必要だ。それは立派な才能だ。だってそういう人がいなかったら?もし、グループにニックがいなかったら?トミーの野心家なところがフランキーやゴーディオの集中を邪魔したかもしれない。緩衝材は、地味だけど、必要不可欠で、誰にでもできるものじゃない。少なくとも、他の3人にできることじゃなかったはずだ。
そして同時に、そういう人は総じて神経質な面もあるし、慎重な分、ものを言えない部分があるっていうことも、みんなが理解する必要がある。きっかり正午に起きて食事を取る人間が、タオルを片っ端からびしょびしょにして床に放置した挙句洗面台にしょんべんする奴と、ずっと一緒に生活なんか、できっこない。少なくとも私なら絶対に耐えられない。それを10年耐えたニックは凄い。本当に禁固刑だと思う。だけどそれに耐えてでも、ニックはなんだかんだ、グループにいたかった。あの時までは。音楽が好きだし、音楽の才能あふれる人の中でやれることが嬉しかっただろうし、スターに上り詰めたし。だから、耐えてでもいたかったんだろう、あの時まではね。
でも、みんなはそれがわかってなかった。トミーは自分が野心家で、ある種の見方をすれば、わがままであるってことが、自分でわかってなかった。それを知っているニックは、フランキーやゴーディオに負担をかけないため、自分のところで留めるために、口外しなかった。だからふたりはそんなことも知らなかった。
ニックは、本当は言わなきゃいけなかった。だってグループなんだから。ツアーのファミリーなんだから、言わなきゃいけなかったんだ、でも彼は言えなかったんだ。負担をかけたくなかったから、あるいは、肝が据わっていなかったから。
あるいはそれは、ツアーのファミリーが、彼にとって本当に、一番必要なもの、ではなかったからなのかもしれない。
彼に必要だったのは、いつだって、本当のファミリーだったんだろう。まっすぐに自分だけを愛してくれる妻と愛し合い、子供と遊ぶ。ファミリーのスターになることが、彼に一番必要な処方箋だったんだろう。
そう、気付いてしまった。だから、グループを去った。
リンゴスターだったら、家に帰って、子供と遊んだほうが良い。彼は10年かけて、その答えをやっと出したのだ。
私は、それで良かったと思う。
ニックがそう気付けて、本当に良かったと思う。ある意味、トミーのあの狂いっぷりが表に出たのは、良かったことだと思う。だってそういうきっかけがないと、人間て決断できずズルズルいっちゃうものだから。それで尚狂っていくから。
なんだろう、だから、ニックはある意味、凄く平凡だなあ、っていうか…。
一番成長したのがフランキーだと思うし、一番狂っていったのがトミーだと思うし、一番無関心だったのがゴーティオだったと思うし。
一番、ごく一般人に近かったのが、ニックだったと私は思う。
そして、実の子供に自分を叔父さんだと思わせていたこと。これ、私最高に、ニック良いダメな男だな……って思う。
正直、ろくでもない父親なら、いっそのこと、父親というものが存在しない方がましだと私は思う。それは私がそういう環境で育っていているから。
ニックは、自分がツアーで殆ど家に帰れない、つまり子供達にとって必要な父親としてのつとめを全く果たせていないことがわかっていた。加えて、子供たちは知らないかもしれないけど、ツアーに出ている間、奥さんじゃない女の子と遊んでもいる。多分だけど、彼の中にある「理想の父親像」に、自分は全くなれていないってニックは思っていたんじゃないかな。
本来なら、その「理想の父親像」になるべく努力すべきなんだけど、グループを抜けるまで、ニックはそれができなかった。できなくても、子供たちに最善は尽くしたい。その気持ちがあったから、ニックは叔父さんと思い込ませたんじゃないかなと思う。
それだけで、ニック良いお父さんだよって思う。ダメだけどね。でも、良いダメな男だと思う。

そして推しのニックの演技のお話をするんだけど。

基本は、クールで、一歩引いた目線でグループを見、グループを円滑に回すために必要な役割を果たそうとする人って感じ。几帳面だから調整役としては上手いんだけど、几帳面故に調整役してる時に感じるストレスのはけ口が必要で、その結果女性と酒にいったタイプ。でも、後述するけど、女性との遊び方にも彼なりの矜持があるから、やっぱ几帳面だなあと感じた。グループで人前に出る時はクールな表情なんだけど、仲間内でいる時はそれなりに近く感じる。でも奔放ではないな。羽を伸ばしていいところと良くないところは一番きっちりわかってる気がする。刑務所入れられたのも不法侵入だけだから、あの世界観で考えるなら軽い軽い。
あの、2幕のニック大激怒の演技の仕方がね、意外と落ち着いていて。ジャジコンで見た初演の福井さんの演技だと、キレッキレのキレだったから、その方向なのかと思ってたんだわ。声を荒らげてガチギレするのかと思ってた。
違った。
今までに、推しが声を荒げる怒りのシーンも、逆に、声は荒げないけど淡々とした静かな怒りの演技も見たことがあるけど、その中間って言えばいいんだろうか。
タオルを片っ端からびしょびしょにした挙句洗面台でしょんべんしやがった、あのちっちぇえ石鹸、の、あのくだりが、意外とまろやか(?)というか。だからこう、ニックの几帳面なところと、トミーの大雑把なところは、確かに相性が悪いんだけど、ニックはそれそのものに怒ってるわけじゃないんだろうな、っていう印象を受ける、絶妙なまろやかさがあった。あの時ニックも、今まで堪えてきたものが全部一気にきちゃって、ニック自身動転してたんだろうなと思う。だからあの場で一番の厄介者になってしまったトミーに対する不満という形で爆発しただけで、これが別のことであったら、多分トミーを責め立てることもなかったんだろう。
多分これは、先述したような、グループ内でのニックの役割っていう部分とも絡み合ってくることなんだと思うんだけど、どうも、怒りがトミー本人に直接向いているのではないように感じた。
なんというか、トミーを介して、別のものに怒っているような感じがした。
ニックは確かに、トミーの大雑把なところ、同室のニックに配慮をしないところに不満があった。先述した通り、几帳面さと大雑把さというのは、もちろん併せ持つ人もいるし上手くやっていく人同士もいるけど、大体の場合、共同生活は難しいからだ。でもニックの中では、「でもトミーはグループを引っ張っていってくれている。それは自分にはできないことだ」って理解していた。正誤は置いておくとして、ニックの中では、それを理解している以上、そしてトミーが引っ張っている以上、トミーに怒るべきじゃないっていう認識があったんだと思う。だってトミーは、引っ張っていく立場故のストレスを抱えているだろうっていうのも、ニックにはわかっていたから。だから、「俺ひとりが相手してやることで済むならそれでいい」みたいな、ストレスの分担を担おうとしていたのかもしれない。
でも、トミーのストレスは、それだけじゃ留まらなかった。結果、彼は莫大な借金を作った。ニックは、それが起爆剤になった。
そう、それは、ニックの本当の怒りの理由じゃなくて、ただの起爆剤だったんだと、私は思う。
例えば、ニックがトミーの相手をしてやることで、トミーのストレスが軽減され、グループが上手く回るならば、ニックは怒らなかったと思う。もちろんトミーの相手をすることで、ニックにストレスはかかる。でもグループを上手くやっていくためには必要な負担だと判断するだろう。だからこそニックは誰にも言わずにトミーの相手をひとりでし続けていた。10年も。そして表面上はそれで上手くグループが回ってた。
でも、本当は上手く回ってなんかいなかった。トミーのストレスは、ニックに対する不配慮に留まらず、賭博という発散方法を選んだ。気付いたら莫大な借金になっていた。
それを知った時のニックの気持ちたるや。
俺がしてきたことはなんだったんだ?俺はスターになりたかった、でもひとりじゃなれなかった、このグループならばと思って賭けた、賭けに買ったと思ったし、賭けに勝ち続けるためなら多少の投資は惜しまないつもりでいた。子供には叔父さんだと思い込ませて、トミーの相手をして。でもその投資は、スターであり続けられるならば、という前提のもとだ。俺が投資をしてもグループは上手く回らなくなっちまった。しかも俺にはフランキーやゴーディオほどの才能もないし、トミーみたいに上手く交渉をやってのける力もない。
これ、絶望じゃないか?
掴んだと思ったでっかい夢が、本当は砂上の楼閣に成り果てていたら、そんなの家に帰りたくなるに決まってる。
……っていう印象を、受けた。推しの演技から。
絶妙に強くなかったんだ、怒り方が。だから端的に言うなら「怒っている」状態なんだけど、怒りの皮を被った、他の感情だと思った。あの帳簿?を見て、取り立てが来て、その時ニックの中に生まれたのは怒りと絶望だったのかなあと思う。そしてパワーがあるのは怒りで、先走るのも、形になるのも怒りだ。だから怒りの皮を被っていたけど、絶妙に、ただの怒りとは違うものがあった。それが、「家に帰りたい」という、ニックの本当の姿、でっかい夢を掴むことに対する諦めと絶望なんじゃないかな。
そして、あの怒りは、ニック自身にも向いていたのかもしれないと、私は思う。
もちろん、あの瞬間にそれらを全て自分で理解してたわけじゃないんだろう。でも自分の愚かさを感じたんじゃないかと思う。つまり、奥さんのたったひとりのスターであれば良かったものを、沢山の人のスターというでっかい夢を掴みに行った挙句、奥さんとは上手くいかなくなった上、グループもこんなことになってしまって、正に二兎を追うものは一兎も得ずになった、その決断をしてきている。自分が愚かだと感じると同時に、自分自身に怒ってもいたのかな。
だから、起爆剤になったのはトミーだけど、トミーに対する怒りを介して、自分に怒っていたんだと、私は解釈してる。今のところ。
そう解釈すると、最後の、なんだっけ…誰だってスターになれる、の前の、本当はトミーに怒ってたわけじゃなかったみたいな、あの台詞とも繋がってくるかな、と。
何が言いたいのかっていうと、そういう印象になるように緻密に計算した演技をしてくる推しが凄い。ただ怒るだけじゃないんだもん…怒るって色んな種類があるよなあと実感した。
で、その感情の波が落ち着いてきた頃、「家に帰る」と彼は言ったわけだけど。
「Stay」のコーラスしている時の推しの表情の虚無感がすっっっごいのなんの……。それまでは、(多分スターとして見せる顔ってものがあるから)表情に出してないにせよ、「音楽楽しい!最高!」って雰囲気があったのに、「Stay」の時、それがないこと。ああ、多分、自分を殺していないと、スターとしてダメだな、とか、トップに押し上げてくれた一般大衆のファンを裏切ってしまうな、とか、そういうこと思った結果、「虚無」になったんだろうなあ……。
ちなみに私は、このあとの、マイクにニックのジャケットがかかっている中での歌唱シーン、そして、「Don't you worry 'bout me」の流れが死ぬほどしんどみが深くて好きです。平気な訳無いだろおおおおおフランキー!!!!!!!!!っていう気持ちと、あの擦れてなかったフランキーが、それでもその歌を歌い、その道を歩むまでになった、つまり強い男になったっていう実感が一気に溢れてきて、しんどい。
で、あと、ニックは散々女性と遊びながらも最終的には家族の元に帰ったわけだけど、それって都合の良い男にも見えると思うんだけど、私は、ニックはニック本人にしかわからない正義があったと思う。
クリスマスにグループが女の子をプレゼントされたシーン。ニックがプレイボーイを出すのってあのシーンだけだけど、まぁーーーーーーーーー好きですね、女の子が!!!!!!!って感じが凄くするんだけど()あとお酒も。
でもこう、距離が近いのに距離がある感じがして、凄く、「あー、かりそめの安定剤なんだろうな」感があった。
というのも、ニックは劇中で、おでこにしかキスしないんだよね。あんな、女の子に足絡められながら、腰を抱いて、お酒をラッパ飲みして、ゴーディオの「初めて」を時事ネタで野次ってるにも関わらず。それが、彼なりの正義なのかなと思った。唇へのキスとおでこへのキスじゃ重みが違うし、距離感が違う。ニックは遊びの女の子には唇にキスをしない主義なのかもしれない。それが「妻に本当のことは言わない」というダメ男が唯一持つ貞操観念の矜持なのかもしれない。その、独特の距離感が、好きです。
凄く個人的な話だけど、ダメな男が好きでして、私。でもダメな男とクソな男って違うんだよ。あんまりわかってもらえないけど。で、絶妙にダメな男だった、ニック・マッシ。そもそも既婚者が女性と遊ぶでない!!!っていう倫理観がぶっ壊れているにも関わらず、誰からも、奥さんからも見えない・理解されない独特の線引きがあるっていう、この謎の矜持があるところが、ダメな男として100億ポイント。
その、かりそめの安定剤だなっていうのがわかるところが最高に好きです。とても最高なダメな男だった。

というわけで、推しのニック・マッシの解釈と、緻密な役作りと、狭い隙間を縫うような絶妙な演技が、最高でした。

まだ色々引き出せばあると思うんだけど、この辺で…文字数がおかしい。
このあと前方席があるからもっと「うわーーーーーニック・マッシ!!!!!!」ってなるんだろうなあと今から覚悟しています。
さて、推しで初見を迎えるために未鑑賞の映画を見るぞー!!!

単騎を極めし女

私は大体どこでもひとりで行く。

って言うと、たまに「えっ!?」って言われるじゃないですか。

いやもちろん、私は殆ど、そういう私のことを受け入れてくれる人としかつるまないんだけど。そして大体のそういうタイプの人の交友範囲もそうだと思うんだけど。

謎やで!!!って言われたり、あるいは出かけた先で「えっ…ひ、ひとり…???」みたいな視線を感じることがままあるから、そこについて書いてみよう。

 

で、私はひとりで出かけることが多い。

もちろん友達と遊ぶこともあるし、人と会うことも、人と関わることも好き。

でもそれは、お互いに居心地がいい相手に限っての話。

私にとって、だけじゃない。相手にとっても私がそれなりに居心地良い存在でないと、私は共に過ごすのが難しい。

なんでかって、機嫌や、合う合わないということが、自分について主観的にわかるのは当然だけど、私は大体相手にとって私がどうなのかがわかるから。

感覚だから、「えっ…全くわからんこの人…謎…」っていう場合もある。その場合は、多分相手の立ってる場所が、私が感知できるところじゃないんだと思う。

要するに、「この人とは価値観があうな」とか、「私今機嫌がいいな」っていう主観的な感覚とは別に、相手が私に対してどう思ってるのかがなんとなくわかる。私に対して価値観が合うと思ってくれてるとか、今機嫌が悪いなとか。機嫌悪いのは腹減ってんじゃないかとか。

早い話が、たまに凄く耳が良くて、遠くの音が聞こえる人がいる。それと似たようなものだと思う。

で、私にとって誰かと過ごすことは、自分だけが楽しければ良いってもんじゃない。自分が我慢しまくるのも辛いけど、相手にも我慢なんてして欲しくない。相手にも楽しんでほしい。お互いが快適に楽しめるのが大事だと思う。

 

でも、例え家族でも、他人は他人だ。

だから、お互いに快適に楽しめるってなかなか難しい。

私には私の価値観や好みがあり、相手には相手のそれがある。お互いにそれを尊重し合えるのが一番だ。でもお互い譲れないこともある。

だから私は、大体のところにひとりで行く。

それが一番楽だからだ。自分が快適に過ごすことを一番大事にしたい時は、ひとりで行動する。

誰かと過ごすとなると、相手にとっても快適で楽しいことが、その時間を過ごす必須条件になるから。相手が、そんなこと気にしないでよ、と言ってくれても、それは私の中で譲れない価値観だ。私はそれを整えないと気が済まない。自分にできることはしたい。でも、それは結構気をつかう、疲れる。

だから、ひとりで大体どこでも行く。

 

私は、舞台であれ小説であれアニメであれゲームであれ映画であれ音楽であれ、何かを鑑賞するのが好きだ。

思うまま作品の世界観に浸りたい。

でも、先述したように、誰かと過ごす場合、相手も快適に楽しく過ごしてほしいタイプなので、一緒に鑑賞しようと思うと、しんどいことがある。

例えば友達と映画を観に行くとして。

私が素晴らしい映画だと思っても、隣にいる友達も必ずしもそうだとは限らない。

さすがに映画を観てる間は、私だって隣の友人がどう感じてるのかはわからない。感性のセンサーは映画に向いているから。

でも、隣の友人が楽しめているかも、とても気になる。

友人と過ごす時間の一環として映画を選択している。つまり私にとっては、私も友人もその映画を快適に楽しまないとならない。

なので、私は映画に集中しきれなくなる。

もちろん、一致して同じ映画が観たい時は別だ。その時は問題なく集中する。が、私が観たいと言ったものだったり、あるいは、軽い流れで観に行くような時、私は集中が出来なくなるタイプだ。

だから、基本的に映画も舞台もひとりで観に行く。たまに、同じものを観たいと思ってくれる人とは観に行く。その時は最初からその前提条件がちゃんと揃ってるのがわかってるから、心置きなく堪能するし、とても楽しめる。

終わってから語り合うのも好きだ。

でもそこでまた問題が出てくる。

相手にも快適に楽しんでもらいたい病だ。

観たいと思ったものが一致した映画を観てる間は、私も友人も、それぞれ主観的に楽しめる。

でも終わって、例えばカフェで感想を語り合おうとすると、何から語ればいいのかわからなくなる。

そう、私は、まず、相手に快適に楽しんでもらいたいからだ。自分よりもそれが先に出てくる。

だから、観終わったばかりの映画の話なんか、正直どうしたらいいかわからない。だってそれを、私は主観で観ている。相手もそうだ。お互い主観で観てるから、多分感動したところや着目点も違うし、解釈も違うだろう。さすがに、観終わったばかりで自分の解釈をまとめてる時に、相手の主観がどうだったかについての予測は立てられない。観て数日してからなら「この子ならこのシーンが好きだろうな」と思うけど。

でも、それで良いことはわかっている。大事なのはお互いにそれを否定せず、あなたはそう思ったのね、私はこう思ったわ、って語り合うことなのだ。わかっている。

……が、私は「自分ばかり話していないか」「相手にとって不快なことを喋っていないか」などを酷く気にする。相手が私と過ごす時間を楽しんでくれているかを非常に気にする。

それを達成するには、相手の話を聞き、相手の主観を理解し、また理解を示し、共感をする、それが一番だと私は思う。

でも私も同じように話がしたいのだ。すりゃ良いだけなんだけど、私は身近に、「相手に理解や共感を示したふりをして話を自分が持っていって独壇場を作り上げる」人がずっといたから、自分もそれをしてしまうんじゃないかと怖くなる。だから難しい。

そんなの私の都合だ。そうなのだ。だからこそ、相手に、私のそんなめんどくさい都合に付き合わせたくない。

だから、私は大体の場所にひとりで行く。

自分が作品の世界に浸るという意味でも、一緒に過ごす相手がいる時は快適に楽しんでもらいたいという意味でも、自分のめんどくさい都合に大切な友人を突き合わせたくないという意味でも、それが今の私のベストってことだ。

 

で、お察しの人もいるかもしれないけど、そんな感じの価値観だから、外に出る時はなかなか苦労する。

いや正直、街歩いてて不快になることなんかいくらでもある。細かいこと言えば人が乗ってくるのがわかってる電車で入口らへんで突っ立ってくっちゃべってる奴とか嫌だもん。中程へお進みください。

他人の会話でさえ、キモいとかウザいとか、中傷的だったり批判的な言葉が聞こえてくるとげんなりするし、申し訳ないが子供の声も苦手だ。子供が嫌いでも悪いのでもない。子供を無視する親や無神経な親が子供を連れているのが嫌なのだ。そういう親に連れられた子供が出す声って、叫び声でも泣き声でもこそこそ声でも、一定の「構って欲しい」何かが滲み出ている。私はそれを感知してしまうし、その子供の気持ちがわかるので辛い。だから子供の声は苦手だ。

そんな感じで、割と神経質な人間なので、外に出る時は常になんらかの防護策を張っている。

例えば音楽を聞く。自転車に乗る時や店員さんと話すときなどは聞かないけど、それ以外は基本聞いてる。好きな音楽があることによって、そっちに意識を傾けられるので、耳に入る不快なものからは身を守れる。

視界…はどうしようもないけど、乗り物の中なら寝るか、空想にふけるか、考え事をするか、本やインターネットを活用するか。幸い私は空想や考え事でぼけーーーっと出来るタイプなので、そんな感じで視覚から入る不快なものから身を守っている。もちろん安全や配慮は常に気を配っているけど。

あと、出かける曜日や時間に気をつける。調整が効く仕事というのもあって、出かける時は平日の昼間だけにしている。

早い話が、私は多分、多くのことに敏感なんだろう。そして、敏感であることも、あるいは鈍感であることも、悪いことじゃない。

本当はそこまで対処せず普通に街を歩ければ良いんだけど、色んな人や価値観があるから、それは難しい。鈍感な人が悪いわけじゃないし、排除するなんて無理だし、自分の快適のためにそんなことはしたくない。なら、自分がある程度快適に過ごせるように工夫をすれば良いと、私は思う。

 

そんなタイプなので、私は推しの現場ではファンコミュニティに所属したりしない。無理に関わることもしない。というか、能動的に、積極的に自分から関わったことがない。それは「推しは私のもの!」タイプの同担拒否ってことじゃなく、舞台に集中することを最優先に取捨選択したらそうなったってだけ。

んだけど、そこで苦しむ人多いなあと思う。それは私の推し界隈に限らず、色んなジャンルで。

わかる。語り合いたいよね。同じものを好きで語れる相手欲しいよね。それはわかる。

……んだけど、そこに重きを置いてる人が多いなって。いや、それはいい。そこに重きを置くタイプの人なら、それも楽しみ方の一つだ。何の問題もない。

ん???って思うのは、「作品を心ゆくまで楽しむこと」と「対人関係を作ること」の比重が上手く取れていない人。つまり、交流にがんじがらめになってしまい思うように鑑賞が出来なくなってしまっている人だ。

無理して交流の輪に加わっている人のことは、なんとなく、見ればわかる。無理があるから。

交流に重きを置くタイプの人は、作品>交流のタイプの(交流の比重が、出来たら嬉しいな!程度の)人より、交流にやや積極的だ。

で、作品>交流の人は、大体ちょっとそれに圧倒される。でも、交流に重きを置くタイプの人は、それに気付かない。作品>交流の人は、もっと深い話したいんだけどな…と負担を感じる。

…っていうの、よくあると思う。昔は私もあった。めんどくさすぎて途中から距離置くようになったけど。

そんなことせずに、世界を堪能すれば良いのになあ。もしくは、もっと同じような感覚の人を探せば良いのに。

そう思う。んだけど、作品>交流の人は、恐らくだけど、距離を置くとか、突然相手から離れるってことに、物凄く罪を感じるんだよね。私もそうだった。

それに、交流出来なくなるのも辛いし。それもわかる。

でも、交流によって、作品を心ゆくまで堪能することに負担が出てくるなあと思ったら、思い切って交流をやめてみていいと思う。

だって、席が連番かどうかよりも、生きている目の前の作品の方が大事じゃない?

 

そもそも私は女子中学生によくある、トイレ一緒に行こうってやつ、ああいうのが、好きじゃないしめんどくさい。だから、交流もしたいけど何より作品が大事、って自分の性質に気付いた時、割と悩まずに「じゃあ交流はやめよう」って決められた。

女子中学生タイプが悪いんじゃない。単純に、私は住む世界が違う。それだけのことだ。

違う世界に無理して住んでめんどくさい思いしたことも沢山あるしね。だから移住した。

で、今は、ぜーんぶひとり。超楽。

語りたいなあとは思うし、お母さんに話すことはあるけど、話し相手は基本自分だ。私は空想や考え事が好きだから、いつでも頭の中に、必要なシチュエーションは作り出せる。

例えば、同じ目線の友達。例えば、インタビュアー。なんでも頭の中に作り出せるし、そこで必要な会話や議論はできる。

 

…なんてことは難しい人が多いのかもしれないけど。

ただまあ、趣味の世界で人間関係がマイナス要因になるんだったら、それはやめてみることも必要だと思う。

単騎極めるの、楽しいですぜ。

行きたい回数、入りたい席で、欲しい分のグッズだけを買って、前後に食事するとか真っ直ぐ帰るとかも全部自分で決められる。ちょっと今お金ないから家でご飯食べよう!も出来る。いらないグッズまでお金出して買う必要もない。

人付き合いが面倒だなと思ったら、是非単騎してみて欲しい。どうせ舞台や映画が始まってしまえば、ひとりで楽しむのだから。

 

そんなわけで、単騎を極めし女が単騎を極めている理由でした。

ひとりで行くのが寂しくないし、視線感じるのも勝手にしてくれって感じだし、楽なんだよって話。

お洒落したい 〜チケットを握りしめて〜

推しの出演する舞台を観劇する時に、お洒落する人ー!この指とーまれ!

 

私は推し事の時は自分なりのお洒落をします。

毎回自分史上最高の自分でいられるようにしている。多分こだわりなんだな、そういう。

で、殆どの方が、推し事の時には多かれ少なかれお洒落すると思うんですよ。

なんですけど、なんか物凄く意見が分かれるなあーと思ったので、私の話をします。

そうだよ!このブログは説明や評論が苦手な私が書いている私のためのブログだから、私の話ばっかりするよ!

嫌な人は読まないでね!!!

 

私の服装やメイク(総合して、ファッションと呼びます)は、多分目立つ方だ。

色しかり、デザインしかり、コーデしかり。

目立つ、派手。客観的に見てそうであることは間違いないと思う。

私は私なりのお洒落をしている。

けれども、一般的なお洒落の方向性とは全く違うのだと思う。

で、多数派ではないにせよ、そういう人も一定数居ると思う。あと、本来はそのタイプだけど一般論に困ったり迷ったりしてる人とか。

特に若手俳優さんのファン界隈は何故か、驚くほど他の観客の服装や容姿を監視する傾向の人がいるので、それで観劇の時は好きなファッションは選ばない、って人少なからずいるんじゃないかなあと。

それなんの問題があるの?っていうお話です。

 

そもそも、なんで目立つ服ばかり着るの?っていう疑問を持つ人がそれなりにいると思うので、お答えしよう。

私の答えはこうだ。

それが好きだから。

それが似合うから。

この2点に尽きる。

 

まず、好みに関しては、遍歴を上げるとわかりやすい。

ゴシック→パンク→ロリータ→ageha→姫→お嬢様→現在(色々ちゃんぽんした結果)

この通りなので、おそらく、元々インパクトのあるものが好きなんだわ。しょーがない。

私にも一応、彼氏のためにファッションを選ぶという、奥ゆかしい頃が一時期あった。その時が一番落ち着いてたはずなんだけど、落ち着いてるって言っても割と浮いていた。

今はなきsecret magicが大好きだったんだよその頃。一番落ち着いてた頃で全身それだった。

だからまず、好みは生まれながらに振り切ってるタイプ。

あと子供の頃から着心地とかに敏感なタイプでもあった。

 

次に、似合うものについては、もうちょっと個人的な話をする。

若い頃は、好みだけで選んでいた。それに応じて、好きな服に合わせてメイクやヘアメイクをした。つまり私は常に、その服に相応しい自分を作り上げていた。

でも年齢を重ねるにつれ、自分を作り上げることが将来的にしんどくなるだろうことが見えてきた。

で、「本来持ってるものを活かして似合うものを追求した方が生きやすいのでは?」と考え、似合うものを追求することにした。

私の本来持っているものは下記の通りだ。

 

・地黒

・肌が焼けやすい

・体つきがしっかりしている

・男顔

 

凄くマイルドな書き方をしたけど、言葉を選ばず乱暴に簡単に言うならば

「生粋の日本人というよりは中東系の肌や顔立ちで体つきが欧米人」

みたいな感じ。

なので、明らかにその辺りの地域で使われる色彩が似合う。南国っぽいのとか、暑い国や地域の色彩。あるいは、モノトーンに挿したビビッドカラー。そういう感じ。

で、それを追求していったら、当然日本で日常的に気軽に手に入るタイプのお洒落なファッションではなくなった。

 

というわけで、私は本来持っている容姿の特徴に似合うものを活かし、本来持っている奇抜な好みに従ってファッションを選んだら、派手になった。

 

ちなみに、服は全部自分で仕立てています。

日本国内で日常的に気軽に手に入るファッションって、先述した私の容姿の特徴でも勿論着られるんだけど、活かせているか、磨けているかって言われると、違う。無難にまとめるところまではいけるんだけど、そもそも似合うものが違うので、その域を出られない。

ショッキングピンクとかロイヤルなブルーとか、そういうバッキバキな色が似合うタイプなわけです。日本でそういうカラーのものが普通に売ってるか?っていうと、気軽に買える範囲で見ることは殆どない。絶妙に「黄色人種の中では色白で華奢な日本人」を引き立たせる色彩で、「あと一歩…あと一歩違う…!!!」なんですよ。だから着られるんだけど、無難って感じにしかならない。活かせてるか、磨けてるか、はクリア出来ない。あと、その無難なところで止まるのが好きじゃない。もっと突き詰めたい。突き詰めて自分の中で最高の答えを出したい。クリアしたいんですよ。なので、一言で言うと好みに合わないんですね。

そして体つきも日本人の標準規格よりしっかりしているので、絶妙にサイズがない。小さい。全体的に小さい。私の肩がそんな幅で収まると思うなよ???ってなる。肩や身幅で選ぶと今度はウエストがガバガバ。選択肢が、細いか太いかしかない。在日の欧米人はどこで服買ってるの?小さくない???私は「小さいかデカイかしかない!!!」ってなる。そういうのを着るのは、無難にまとめるなら良いけど、「お洒落」ではないと思う。

加えて、私は今はほぼ隠居だけどコスプレイヤーでもあるので、服を作るのは得意だし好き。

なので、じゃあもう自分好みで自分サイズで作った方が話早くない???って思って自分で作ってます。

 

ひとつ言っておきたいのは、日本で日常的に気軽に手に入るファッションでお洒落をすることを、否定したいんじゃないです。

似合っていて、好みで、サイズが合うなら、それが一番だと思います。

たまたま私は全てにおいて規格内じゃなかった。ただそれだけのことです。

そういうお嬢さんを見かけると、素敵だなあと思う。ファストファッションのお店で見た覚えのあるお洋服でも、似合っていて、サイズが合っていて、きちんと着こなされているのを見ると、なんだかとても嬉しくなる。

似合って、好みで、サイズの合うものが手に入っているんだなと。それって凄く素晴らしいことなんですよ。それを身をもって知っているので、素敵だなあと思います。

なので、否定をしたいんじゃないです。あくまで、「派手な服の人がなんで派手な服着てるのか」の、私のケースはこうだよ、って話をしたかったんです。

 

あと、推しから見えるわけでもないのに推しの現場でお洒落をする意味とは?というやつですけど

あれは色んな人が色んな答えを述べているので私の意見を。

「自分史上最高の自分でいると、それだけで自分で勝手にルンルンになり、ルンルンになると自分のパフォーマンスが向上するので、結果として観劇に集中できる」

あと、推しから見えないとしてもこっちからは推しが見えているので、推しの前では…っていう認識はやっぱり働く。見られたい、見てほしい、じゃなく。意識の話で、こっちから推しが見えてて存在を認識しているのに、ダラーっとしたり態度悪くはいられないっていう感じ。

 

よく、派手なファッションの人に対して

「目立ちたいからそういう服着てるんでしょ」と言う人がいる。

日常でも私はよく言われる。私は散々派手な服を着てきているので、外を歩いている時に受ける視線は気にならなくなったけど、こう言われると毎度全力で否定する。

私としては、ミニスカートで痴漢された女の子に「そういう格好する方も悪い」と言うのと、本質的には同じことだと思っている。

なんというか、考え方がとても短絡的というか。直結し過ぎていると感じる。

あと、若手俳優さんのファン界隈、結構そういう話見かけるよね。

まあ、あの、色々ある。距離感も近めだし、ファンサとか接触とかなんか色々あるから、そういう話になるのもわかる。

で、実際そういう人もいるだろう。見られたい、覚えられたい、ファンサもらいたいから目立つ格好をするっていう人。

でも、そうじゃない人もいる。

私のようなタイプは、結果として派手になっただけだ。根底にあるのは「目立ちたい」ではない。

色々言う人はいるだろう。私だって言われてるのかもしれない。

でも言い方は悪いけど、所詮他人だ。目立ちたくてその格好をしているのか、似合うものや好きなものを追求したら派手になったのか、それはあなたと、あなたにとって大切な人が知っていればそれで良いこと。周りを気にするのは勿体ない。その労力はお洒落に使えば良い。

だから、私のようなタイプのお嬢さんは、堂々と好きな格好をしたら良いなあと思う。

もちろん、人目が気になるから浮かない格好で、という選択だってある。推しの目が気になるという人もいると思う。

でも、比べてみて、やっぱり好きな格好をしたいなあという気持ちが拭えないなら、それは思い切ってやってみるのも良いと思う。

観劇なら、座席に収まる程度のかさばらないもので、反射する素材がゴリッゴリに使われていなくて、後ろの人の視界の邪魔にならないなら、あとは何を着ようが自由だ。

その範疇で、「これが自分史上最高!」って思うファッションを、ガンガンしたら良いと思う。

 

みんなチケット握りしめてお洒落しようぜ!!!

 

そんで、以下私の個人的な話。

私は好きなファッションに合わせて自分を作り上げてきたけど、そもそも「自分を作り上げる」ことの根底にあったのは、容姿に対するいじめだったのだと思う。

小中と続いたいじめにより、私は壊滅的に容姿に自信をなくした。元々自信はなかったけど、自信の芽さえ出なくなるまで、ボッコボコにされたからだ。

だから私は、ファッション以前に、外に出るときは化粧をするかサングラスで顔を隠すかしないと、怖くて仕方なかった。

だからコンプレックスの強いところを特に、理想に近づけようと作り上げていた。それによって、頑張ればある程度コンプレックスが埋められることがわかったので、好きな服に合う系統のメイク、というふうに結びついていった。

20代前半、ファッションに合わせて自分を「作り上げること」に違和感を覚えるようになった。本来の自分ではなくないか?という感覚だ。

芸術としてのファッションは置いておくとして、日常的なファッションというのは、自分を磨くためのものだ。自分を更に輝かせるためのもの。

でもファッションに合わせて自分を作り上げるというのは、本来のファッションのあり方とは真逆ではないか?本来の自分をひどく制限することともイコールではないか?と思った。つまり、原石を磨いてない。上掛けをして、それを磨いてる。

どうしてそう思ったのかというと、先述した通り、私が本来持つ容姿というのが、好きなファッション遍歴のどれを選ぶにしても、不向きだと理解していたからだ。

だってどう考えても色白で華奢な女の子らしい顔の子が着たほうが可愛いし似合うに決まってる。私はそれらを作り上げないと着れないことはわかってた。だからメイクを学んだ。

制限じゃないかと気付いた時、好きなものを好きに着る、というある種の無鉄砲さでファッションを選ぶには、私の年齢はもう過ぎていた。例えば中学生くらいなら、眉のお手入れを知らなくたって、好きな服を選んだりする。周りだって、そういう時期なんだなと暖かく見守る。でもそれで良い年齢はとうに過ぎていた。だから本来の自分を誤魔化し、上掛けを作り上げてファッションを選んでいた。肌の色と生まれ持った体格はどうしようもなかったので、白塗りして体型を隠すか、もしくはギャルの方向に振り切った。

同時に、自分の本来の容姿に似合うものが何かも、把握していた。

その上でこう自問した。

今後ずっと、本来の自分の容姿を誤魔化して騙して、言うなれば詐欺に詐欺を重ねて、ピンクのフリフリを着続けることが、果たして可能なのか。

20代のうちはギリいけるかもしれない。でも加齢とともに色んなところが衰えていく。それに抗うには、年齢に比例した努力、労力、時間、お金をかけなければならない。果たして私にそれをし続けることが出来るのか。

そうまでして、私は自分の容姿を誤魔化し続けたいのか。

それが、私の人生で一番大切なことなのか。

答えは今の私である。

私は、自分の容姿を誤魔化し続けるのではなく、自分の生まれ持った容姿を活かすことを選んだ。

それで良かったのだと思う。あの可愛らしいピンクのフリフリちゃんたちは、もっと可愛らしく、本当に似合うお嬢さんたちが着るべきだ。そして私はそれを見られれば満足だ。もう沢山着たから。

その選択によって、コンプレックスも少しずつ良くなってきたと思う。少なくとも以前ほど、ブスだデブだと気にすることはなくなった。

作り上げることを続けていたなら、私はコンプレックスを持ち続けていただろう。それは将来的に酷く苦しむことになっただろうから、私はこの選択に誇りを持っている。

 

だからみんな、好きなお洒落しようぜ。チケット握りしめて。

否定への恐怖

突然ですが、私はよく否定をされてきました。

「またまたあ。言うて、そんなに酷いことは言われてないでしょ?」

って思った人。

それが、否定なんです。

 

って言う話をするやで!!!

 

何度でも言うけど、私は説明するのが苦手なので、主に体験談のお話でーす。

 

現在の私はどうやら、

・明るい

・面白い

・フランクで人懐こく人見知りをしない

・優しい

・服装やメイクなどが個性的

・堂々と個性的に生活が出来る

・なんでも自分で出来る

…みたいに思われているらしい。凄いね、これから出会うかもしれない方に対してめちゃくちゃ自分で自分のハードルを上げていくスタイル!

しかしこれは、ここ5年くらいでよく言われることを総括しただけのことだ。自分では、よく言われるから「私ってそう見えるんだー」と思う程度。

でも、「そう見えるんだ」というのは、あくまで他人からの評価にすぎない。

なら、私が自分自身をどう評価しているかというと、下記の通り。

 

・ネガティブ

・喋り下手

・人見知り

・内面がトゲトゲしい

・他人からの評価を気にする

・堕落している

 

驚くほど正反対なんですよ。その時のメンタルによっても自己評価が変わるんだけど、それはまた別のお話ということでここでは触れません。

で、周りからの評価と自己評価に相当な齟齬があるわけですよね。認識が、本人かそうじゃないかで、180度違うわけです。

そうすると、こんな会話がよくあります。

 

「○○さん面白いね。子供の頃から人見知りしなかったんでしょ?」

「いやいや、私人見知りなんですよ。子供の頃から、今も」

「そんなわけないでしょー絶対人見知りないって!○○さんが人見知りならほとんどの人が人見知りだよ」

 

これ私からすると、物凄くもどかしい会話。

何の権限があって否定をしていらっしゃるので???と思う。

もちろん、相手は褒め言葉で言ってるんだろうことも理解はしている。でももっと言い方あるでしょ。否定をするなよ、やめてくれよ!それは想像上の私であって現実の私は目の前だよ!と感じる。

無意識の否定って超怖い。そういうお話。

 

そもそも、違う人間である以上主観が違うから、同じ相手に対するものであっても評価が変わるのは、普通のこと。

カレーが好きな人もいれば、苦手だという人もいる。それと同じ話である。

なので、自分と周りとの間で、私に対する評価が違うのはそりゃ当然だ。

そこについて思想統制をしたいんじゃない。

 

私が言いたいのは、そういった、感じ方や価値観によって個人差がある認識を、尊重しあおうよ、ということ。

 

先ほどの会話を例にしよう。

私は、自分が人見知りだと思っている。

Aさんは、そうは思わない。私は人見知りではないと思っている。

その認識の差があるのは構わないし、認識の差そのものは私は受け入れている。認識が異なるということを言葉にすることも、なんら問題ないと思う。

でも、言い方に適切と不適切はあると思う。

「絶対人見知りないって!」

この「絶対」って、あなたは私の何を知っていて言い切れるのか?あなたは私じゃないのに?

だから、その言い方が適切じゃない、と私は思う。

なんでかって、「あなたは絶対に人見知りではない」という言い切りになると、私が人見知りではないというAさんの感じ方は尊重されているけど、私は人見知りだという私の感じ方は尊重されていないからだ。

私本人を前にして、私が人見知りかどうかの話をしているのだから、それは私の感じ方も尊重されるべきではないだろうか。

 

それと殆ど同じことで、「個人の趣味嗜好を否定するような物言いはやめよう」ということも、一緒に主張したい。

 

こんな例だ。

少し前に、職場で上司がこんなことを言っていた。

「アイドルだの歌手だのにハマったりライブ行ったり、追っかけ?とかする意味がわからない」

目の前には、私(生まれながらのオタクで追っかけ歴もそこそこあり現推しは俳優さん)と友人(オタクじゃないけどコンサートには年2回ほど)。

正直、「意味わからない」と思ってる人同士の、そういう人だけのコミュニティでそういう話をするなら、構わないと思う。

頭の中で何を考えるかは自由だし、その部分に関して同じ価値観の人に限っているならば、私たちに実害はないからだ。

でもよりにもよって「意味わからない」当事者の前でそれを言うということは、「お前らのやってることは意味がわからない」と正面切って喧嘩売られてるようなものだ。そういう否定なのだ。

(因みに上司の名誉のために言っておくと、否定したかったというよりは、恐らく本当にわからなくて、なんで?と聞きたかったのだと思う。そうだとしても否定に聞こえない聞き方をすべきではなかろうか)

 

どちらも、「人それぞれ」で良い部分なのだから、「あなたはそうなんだね」で良いじゃないか。

あなたはそうなんだね、自分はこうですよ。それだけで尊重し合っているし、それでおしまいで良いことのはずだ。

 

そして、これらの主張は、全てのことにあてはまる。

趣味、娯楽、嗜好、個性、感じ方や考え方、価値観、容姿。

法律に触れないなら、倫理的にアウトじゃないなら、あとは誰が何を好きだろうがどんな意見を持とうが、そんなのは個人の自由だ。

そしてその、個人の自由、で良い範囲のことならば、互いに尊重し合わなければならない。本人の主義や主張、好みを否定する権利は誰にもないのだ。

それがマジョリティだから尊重されるとか、マイノリティだから軽視されて良いとか、そんなことがあっていいはずがない。

 

本人の感じ方や好きなものなど、犯罪性がないのなら、「あなたはそうなんだね」で良いじゃないか。

 

「あなたは○○なんだね」に続いて、もし、本当に相手のことがわからないのならば、こう聞けばいい。

「自分は××だから、○○なのがわからないんだけど、それってどういうことなの?」

大事なのは、お互いにお互いを尊重すること。つまりは、一旦受け入れることだ。相手を受け入れることは尊重に繋がるし、尊重すれば、相手だって否定されたとは思わない。

尊重された上でわからないことを聞かれるのならば、「この人にはこれまでそういう引き出しがなかったんだな」で済む。どちらも傷つかずに、有意義な対話が出来るだろう。

それでも傷つくことはあると思うけど、なるべく避けられるようにした方が良いんじゃないだろうか。

そのように、お互いに、みんなが努力すれば良いんじゃないだろうか。

 

さて、私は色々な否定をされてきた。

顔や体型といった容姿の面も、好きなアーティストや休日の過ごし方といった趣味嗜好の面も、ファッションなどの個性の面も、体質や性格や考え方や感じ方や価値観といった個人的な面も。否定されてないところは殆どないような気がする。

「そんなのが好きなんておかしい」とかそういうことや、もっと、とても酷いことも沢山言われてきた。

どこを取っても、私がいわゆる「普通」、つまり「世間一般の多数派」じゃなかったからなんだろう。

でも私は私が良いと思うものが好きなだけだし、生まれ持った特質に従って生きているだけだ。

私が少数派の面を沢山持っているということが、誰に迷惑をかけたのだろうか?

何を好きだろうが、個人の自由だ。どんな特質を生まれ持っていようと、個人差があるのは当然のことだ。

でも、否定を重ねられることで、私は自分が異常なのだと思うようになった。

おかしい私には誰かに何かを言う権利などない。おかしい私が悪い。

という毒された考えと、

多少ズレてようがそれが何の迷惑になったんだ?私の自由であるはずだし、傷つけられなけばならないことじゃないはずだ。

という元からの正義感の狭間で、長年板挟みになっていた。板挟みになりながら、好きなものや自己を諦めるのはどうしても嫌で、傷つきながら貫いてきた。

身内に非常にデリカシーに欠けた人がいるせいもあったのだと思う。何気なく人を串刺しにする人なのだ。多分そのつもりがあってやってるわけではない。だからこそ厄介なんだけど。

そんなわけで、私は高校に入るくらいまでは常に自己を否定され続けてきたし、その後もずっとその恐怖に怯えていた。そして自分で自分を否定するという後遺症を背負うことになった。また、相手を否定することになってしまうのではないかと必要以上に怯え、物を言えなくなった。これらをまとめて、「否定への恐怖」と私は呼ぶ。

私は今、それらと戦っている。

この否定への恐怖は、なくさなきゃいけないと思うもののひとつだ。

誰だって、漫画なりゲームなりアイドルなりバンドなり俳優なり、何を好きになったって良い。好きなものを好きなように応援すれば良い。数式だろうが語学だろうがスポーツだろうが絵画だろうが演奏だろうが、好きや得意に従って伸ばせば良い。好きな色のアイシャドウやリップを塗ればいいし、好きなデザインの服を着ておしゃれをすれば良い。

それを否定されて恐怖するなんてなくさなきゃいけない。そんなことで傷つかなきゃならないはずがない。

 

それが尊重されるべきなのだ。

そういう時代が来てるのだから。

平成も終わるしな。

本当に知ってもらう必要があるか

数日前だったと思うけど、某事件の犯人のひとりが再犯をしたそうで。

既に何人もの人が同じこと言ってると思うんだけど、ちょっとご勘弁願いたいことを主張する。

 

その事件は30年前のことだけど、私でさえ知っている事件で、とても人間のやることじゃない、身の毛もよだつ、と言われている、凄惨な事件だ。

私がそれを知ったのがいつだったか覚えてないけど、サラッと聞いて何か知らなくてネットで調べた覚えはある。

調べて、本当に引いた。実際に行われた犯行はとんでもない数で、全てが凄惨だった。

最初の2〜3くらいは覚えてるけど、どこまで読んだか覚えてない。半分か、もしかしたら全部読んだかもしれないけど、記憶に鍵をかけて、めちゃくちゃ深いところに封印してる。あるいは、無意識に忘れたのかもしれない。それくらいむごたらしく、おぞましい内容だった。

 

私が主張したいのは、その事件に限らず、そのようなおぞましい事件についての詳細を、SNStwitterに流さないようにしようよ、ということ。

 

まず、私はその事件に興味がないんじゃない。

きちんと伝え、考えなければいけないことだと思う。

被害者の方や遺族の方を悼む気持ちがないのでもない。

言葉さえ出てこない。

私が言いたいのは、そういったことではない。

 

調べれば、あの事件の詳細はすぐにヒットする。私たちは知ろうと思えば知ることができる。

さて、実際に調べて読んだことがある人はいるだろうか。

最後まで読めただろうか。箇条書きで書き連ねられたあの凄惨な犯行の数々を、動揺しないで読むことができただろうか。そのあと、心身の調子に異常は起こらなかっただろうか。

恐らく、殆ど全ての人が、少なくとも動揺はしたんじゃないかと思う。

そしてその中で、おぞましくて最後まで読めなかった人も、それなりの数いるだろう。

そのあと心身の調子に異常をきたした人も、確実に存在する。

少なくとも、全ての人が恐怖を覚えたはずだと私は思う。

こんなことはあってはならない、二度と起こってはいけないと思うものじゃないだろうか。

 

加害者への怒りや憎悪は、正直、持って当然だ。私たち第三者であっても。

そして、「これはマジでやばい事件すぎるでしょ」と誰かに言いたくなる気持ちもわかる。読んだだけでも、とてもひとりで抱えてはいられないものだからだ。

ネットに載ってる。それも確かにそうだ。ネットに載ってる情報を載せることそのものは、基本的に悪いことじゃない。

 

でもね、想像してほしい。

その情報で傷付いたり具合が悪くなる人がいる。

 

敏感か鈍感かというのもあるだろう。

でもそれ以前に、あの事件はあまりにも凄惨でおぞましいものだった。

多くの人が、あの犯行の数々を読んだ時、気分が悪くなるだろう。不快になるだろう。

そういうものを、自衛の難しいSNStwitterに流すのは、適切な行為だろうか。

確かに知らなければならない事件だと思う。

でも、凄惨な犯行の詳細を知る必要は、果たしてあるだろうか。

例えば、いつ、どこで、誰が、誰に、○○という犯罪行為をされた。それだけで十分ではないだろうか。

例えばテレビのニュースの報道はそれくらいだと思う。ワイドショーとかじゃなくて、ニュースだ。

いついつ、どこで、誰が、誰に、猥褻行為をした疑いで逮捕されました。

それくらいなものだ。情報としてはそれで十分なのだ。どんな猥褻行為かを克明にする必要はないし、被害者のプライバシーというものもある。

そもそも、事件の名前が名前だ。詳細を見るまでもなく、恐ろしい事件だろうことは想像がつく。

それを、自衛の難しいSNStwitterに掲載する必要はあるだろうか。

しかも、現代は子供だってそれらを使うのだ。また、今、被害者と同じ、高校生の女の子が見たら。

 

正直、あの犯罪行為の数々は、箇条書きの文章を読むだけでも、グロ画像を見るようなものだ。そのレベルでおぞましい力を持っている。

それをSNStwitterに掲載するというのは、例えるなら、友達からの自分宛のメールに写真が添付されていて、開いてみたらおぞましいグロ画像だった、くらいの恐ろしさってことだ。

これは自分は耐えられないぞ、と感じて、あえて詳細に触れずに過ごしている人もいる。そうやって自衛をしているのだ。

どうか、そういう人の自衛を機能させて欲しい。

そもそも、自衛している人じゃなくたって、あの犯罪行為の数々が流れてきたら、具合が悪くもなるだろう。

 

その犯罪行為の詳細を知りたい人は、自分で調べれば良い。

それこそ、ネットに載ってるんだから、SNStwitterを見てるその端末で、ちょちょっと調べたら一発だ。

見たい人だけ自分で見る。

あの事件に関しては、それで十分ではないだろうか。

 

オブラートに包まないで言うなら、胸糞悪いことを自分から見たくも聞きたくもないでしょ普通。TLに流れてくるのも嫌だよ。それが普通なんだよ、あれだけやばやばのやばオブやばな事件の詳細なんか、自分から知りたいって人だけ自分で見ておくれよ。殆どの人は怖くて見たくないんだよ。やめてくれよ公開ホラー。公開グロ。

初めて見た時にあまりにグロくてグロすぎて無理だったから触れないようにしてきたのにいきなりTLに流さないでくれ。想像してみてくれよ、あの箇条書きの文章からでさえ、どんな痛みなのか、どんな苦しみなのかをはっきり鮮明に受け取ってしまって、もう何日も調子が悪いんだよ。そういう奴もいるんだよ。そうなってるこっちの身にもなってくれ。それくらいあの事件はグロいしむごいし、本当に、惨劇なんだよ。

本当に、もう勘弁してくれ。

 

流す前に、想像してみてほしい。

沢山の人の前に出すにあたって本当に適切な情報か。

その情報は本当に知ってもらう必要があるのか。

一般的な判断として、人が不快になるものではないか。

お願いだから、想像して、考えてから掲載して欲しい。

それでも本当に知ってもらう必要があると思うなら、せめてワンクッション置いて欲しい。注意書きをして欲しい。

これを機に、どうか考えてみてください。

 

以下、もうちょっと個人的な話。

世の中には、その「マジでやばい」と思った感情を、何倍もの強さで感じてしまう人が存在する。

日常生活でさえ刺激が強く感じる人がいる。

電話の音、子供の泣き声や叫び声、街中ですれ違い様に聞こえる噂話。そんなありふれたものでさえ、触れると疲れてしまう人がいる。

「マジでやばい」どころの話じゃなく、まるで自分がそれを体験しているかのように感じてしまったり、圧倒されてしまったりして、具合が悪くなる人がいる。

繊細ぶってるんじゃない。本当に繊細な人がいる。敏感な人がいる。

日常生活でも、そうした刺激をなるべく感じないように対処したり、上手く調整をしながら過ごしている人が、いるんです。

 

自分が敏感だったり繊細だったりすることをわかっているから、不快になったり傷ついたり圧倒されたりしそうなものは、自分から見聞きしないように生活している人が存在する。

そうやって自衛して生活をしている。

今回のことで言えば、例えば私なら、事件のことは知っていて、概要も知っているけど、「これ以上踏み込んだら耐えられない」とわかっているから、あえて調べずに触れないようにしている。

それを、普通に利用しているSNStwitterで流されたら、もうどうしたら良いのかわからない。

苦手な単語などはミュートすることもできるし、不快なものばかり流すアカウントはブロックすれば良い。

でも、その事件の名前まで先回りしてわざわざミュートしてるか?してない。

むしろ、ミュートしてたとしても、その事件の名前さえ入ってない呟きもあるし、その事件の名前も略されたり少し違ってたりして、弾き切れるわけではない。

本当にお願いしたいんです。

わからなくて良いので、投稿する前に「それは沢山の人の前に出すにあたって本当に適切な情報か」を、一度考えて下さい。

軽率な判断で、不用意に人を傷つけないで下さい。

諦めることを覚えた日

ふらーっとtwitter眺めてたら、推し事を諦めるか否かっていう興味深いお話を目にしたので、なんとなく書いてみる。

「推し事を諦めるか否か」なんて凄く主観的にざっくばらんに書いてしまったけど語弊ありまくりだな…詳しくはなんか、調べて(他力本願)

 

私は考えを述べるのは苦手だから、経験談の方を中心にする。

 

今の私の推し事ペースは、推しの出演作だけ、月に2〜3回という、ガチな人からしたらめちゃくちゃゆるっゆるなペース。

んだけど、私はこれでほんと丁度良いんですよ。これよりペース上げるのはしんどい。

 

まず体力や精神力がない。

体力は、そもそも平均睡眠時間が9時間前後なので、8時間くらいは確保しないとしんどい。あとアレルギーがあったり、気圧の変化に敏感だったり。

メンタルの方は、元々神経質マンだから、そもそも出かける時は相応の精神的な準備が必要。そのままだと勇者レベル1初期装備状態なんだよな。それで外出するの無理じゃん。社会はゲームの中みたいに、レベルに適した敵が出てくるわけじゃないから。きちんとレベル上げして装備も整えてボスに挑むのと、予想だにしないところで突然ボスが出てくるのは全く違う。現実世界は後者だから、その不測の事態にある程度対処できるように準備しなきゃいけない。特に私は、雑踏の中で起こる突然の音とか、配慮に欠けた行動を見かけたりとかすると、私自身には全く関係のないことでも不快になったりしやすい。不測の事態が多くなるタイプだ。それらからある程度身を守る対処ができるように準備をするためには、余裕とか、日常的にストレスを軽減しておくこととかが必要なわけだ。そうすると、これ以上現場行くのは私にとって余裕が足りなくなる。

基本的に、自分の状態を推しの(出演やメディア等の様々な)露出に合わせて最適化して、その状態で観たい。じゃないと、表現が受け取りきれないから後悔するし、もったいない。

なので、回数入るより、一定のペースで自分を高めた状態で入って、余すところなく美味しく頂きたい。

そのためには、自分の体力と精神力とよく相談しないとまずい。整えるための力も備えないといけないからね。

 

次に、お金が続かない。

稼げば良いって考える人もいると思う。そういう価値観で、それが最優先だっていう人なら何も問題ない。

ただ私には合わないっていうだけ。

私の好きなゲームの好きなキャラの台詞に「金を稼ぐ手段なんかいくらでもあるんだよ。子供だろうが、なんだろうが、な」っていうのがあるんだけど(すげー悪い奴みたいだけど安心してほしい。悪い奴だ)

その通りなんだよ。沢山のお金を稼ぐ方法はいくらでもある。

なんだけど、リスクも高くなると思っているし、リスクが高いことをすると私の場合は高確率でメンタルが死ぬと思う。だからやらない。

体力も精神力も限りがある。そこを無理してお金稼いで現場増やしたら、今度は現場に集中出来なくなる。集中するために整える余裕がなくなるし、何ならぶっ壊れて、ぶっ壊れたまま現場行って、大して楽しめなくてイライラして、でもまた無理して…の繰り返しになりかねない。自分でそれが予測できる。

私は現場に集中して余すところなく美味しく頂きたい人なので、集中出来ないならその行動には意味がないと思う。

 

なので、私は今のペースで十分だなあと思ってるし、一番丁度いい状態だと思ってる。

ただ、こういうのって、全部個人差があると思う。

もっと出来る人も沢山いるだろうし、逆に、もっとペースを落とさないとしんどい人もいる。もっとお金をかけられる人、もっとお金をかけるために並々ならぬ努力を出来る人。

体力、精神力、住んでいる場所、年齢、他にも色々な理由がある。それは、出来るとしても出来ないとしても、全てに反映される。

それらは全部個人差だ。

全ての人間の間に個人差はあるし、それらは全て尊重されるべきものだ。

で、私にとっては今のペースが丁度いい。

私には、これ以上現場に入る努力は、出来ることは出来ると思うけど、かなり無理が出る。私は無理をすると、心身ともに調子を崩す。

風邪を引いたり、アレルギーが出たり。酷く神経質になって細かいことにイライラしたり。

そうすると、私も辛いけど、周りや、推しにもご迷惑をおかけすることになりかねない。

応援ってあくまで趣味で娯楽なので、自分を壊してまですることじゃない。だから私は、無理のない今のペースが良い。

 

が、生まれながらにしてオタクなので、収集したくなる気持ちはあるし、全通したいと思ったこともある。

だけど、10代の頃別の追っかけ界隈にいた時に、諦めることを学んだ。

 

当時中学生で、めちゃくちゃ好きなバンドがいた。

CDに円盤、雑誌、ライブのチケット。買いたいのものはいくらでもあった。

でもお小遣いの範囲でしか買えないわけだ。

じゃあどうする?ってなった時に、私はCDを選んだ。

彼らはバンドで、音楽を作って演奏することで表現しているのだから、CDが一番売れて欲しいし聞いて欲しいだろう。私も彼らのその世界が好きだから、それを一番摂取したい。だからだ。

雑誌では彼らの言葉が読める。メディアへの露出は嬉しいけど、それは彼らにとって一番大事なことじゃないと思った。

PVは、たまに買っていたけど、当時の私は映像における表現で心動かされることが殆どなかったので、CDの方が欲しかった。

ライブの円盤もたまに買っていた。でもそもそもライブの円盤はそんなしょっちゅう出なかった。それに、ライブを疑似体験出来るのは楽しいんだけど、円盤見た時に、ライブはライブなんだから生で見るのが一番だ、と気付いてしまった。ので、優先順位が下がった。

そしてライブは、そもそも親から許可が出なかった。そりゃそうだ、幅広い年齢層、それこそ親子二代とかも想定したアイドルのコンサートじゃない。ライブハウスは歌舞伎町、終演も早くて21時ともなれば、中学生が行くには明らかに不適切だ。

そりゃあ、全部買いたかった。でもそれが無理であることも理解していた。

なので、私はお小遣いをCDに使っていた。

それが諦めることを覚えた日だと思う。

 

高校に入ってからはバイトを始めたし、高校生という肩書きにより多少環境も変わったのでライブ中心になったけど、高校生が稼げる額もたかが知れてるから、関東でやるライブに全部通うので精一杯だった。

関西のバンドだったのでそっちでやる方が多かったし、本当は地方公演も行きたかった。全通したいと思った。

早番で最前入りたいとも思ったし、インスト(今で言うリリイベ?)も沢山行きたかった。

でも、私が高校に行きながらバイトしてライブに通うとなると、関東のライブのチケットを各一枚買って、CDも一枚ずつ買うのでやっとだった。たまに遠征もしたけど、たまにだった。

何日も徹夜して並んだり、大量に買ったりして早番を出す、なんてことは私には不可能だったし、各店でやるイベント全部に行くために同じCDを何枚もは買えなかった。

が、そのために死ぬほど働くとか、高校辞めるとかっていう選択肢は、私には選べなかった。それを選択している人もいたけど、私には出来なかった。

選ばなかった以上、文句の言いようもない。私は、高校に行きながらバイトしてライブに通う、という選択をした。自分でその選択をしたのだから。

 

だから、あの10代の頃に、私は諦めることを覚えたんだと思う。

そうすると、周りはあまり気にならなくなった。今もそうだ。色んなスタンスの人がいて、でも人間はひとりひとり違うのだから、そもそも比べること事態がナンセンスで、だから周りと比べる必要も、恥じたり羨んだりする必要もない。私はそう思ってる。

自分にとって無理のない範囲で応援すること。他の誰かと比べないこと。自分で決めたのだから、他の人を妬んだり羨んだりしないこと。

私は基本的に諦めが悪いし、ワンチャン狙えるものはなんでも狙っていくタイプだけど、反面、「それが本当に可能かどうか」みたいな、冷静に客観的に状況を考えるようにしている。ワンチャン狙う以前に、それ物理的に無理じゃない?ってこともあるから、そういうことに対して諦めるのは必要だと思う。

 

あと、これは、その10代の頃に、周りを見てて実感したことなんだけど。

身の丈以上のことをしようとする人は、必ず良くないことになる。

多少の無茶でも、周りから見たらどうであっても、その人にとって無理せず出来ることであるなら、身の丈に合っているから、大きな負担にはならないし、最終的には楽しいで丸く収まる。

私が問題だなあと思ったのは、身の丈に合ってないレベルのことをしようとしてる人は、大抵周りや推しに迷惑をかけるってこと。

 

例え話をしよう。わかりやすいからお金の話をするけど、絶対全通。絶対グッズ無限回収。とか、人それぞれ基準は様々だろうけど、それが時に、自分の収入を上回ることってあると思うのね。

その時に、「いやーダメだ今回は諦めよ!」って思える人は、健全だと思う。

多少の無茶をしてでも達成する人で、それが最終的に「やってよかった」とか「楽しかった」というポジティブな感情や、得るものがあった場合、それも無理まではいかないと思う。その人にとっての健全の範疇じゃないだろうか。

でも、どうにかして工面して達成する人の中には、「これだけやってるのにどうして私が報われないの」という着地点に至る人が、結構いる。

それは、めっちゃ不健全だな!!!って思う。

 

話をお金から全体に戻そう。

正直、そういう、並々ならぬことを達成するためには、何かしら犠牲が伴っている。それは時間だったり、体力だったり、お金だったり、良心だったり、下手すると社会的信用を引き換えにしてる例もある。

ここでは、不健全な感情に繋がる行動や考え全般を、「犠牲」と呼ぶ。

犠牲を払ってでも達成したいならすれば良いし、私はそこまでは文句はない。私とは違う生き方があるだけだ。

でも、私が見てきた「犠牲を払ってでも達成する人」のうち半数は、「これだけやってるのにどうして私が報われないの」と嘆いていた。私は度々感情のゴミ箱にされたし、その人たちは推し(だったり彼氏だったりしたけど、ここはオタクのブログなので推しに統一する)にもそれをぶつけ、一番大切にしたいはずの推しを困らせたり傷つけたりしていた。

私から見ると、理解に苦しむ。だって犠牲払ってでも達成するって決めたのは自分だし、推しがそれを頼んだわけじゃないじゃん。オタクがやってることは全部、自分が勝手に決めて勝手にやったことだ。犠牲を払えば自分が苦しむかもしれないし、ケースによっては界隈の人や推し本人にも嫌われるかもしれない。そのリスクは少なくとも考えればわかることだし、それでもやると決めたなら悲劇のヒロインぶるんじゃないよ。

つまり、犠牲を払うにせよ何にせよ、行動するからには覚悟を持てよ、と。覚悟がないならやるな、というのが私の持論。

…なんだけど、そういう人の多くは、その行動を「尽くしている」、あるいは「愛の大きさ」だと思っている。だから、報われてしかるべきだ、というロマンのようなものもあるので、悲劇のヒロインになるわけだ。下手するとリスク自体考えてなかったりする。これだけ愛して尽くしてるんだから、そんなこと起こるわけがない!みたいな。そんなわけあるかい。

 

私が見てきたそういう女性は、みんな諦めることを知らなすぎるんじゃないかなあと思う。

諦めを知らないから、エスカレートしてやり続けるんじゃないだろうか。

もちろんそれだけじゃなくて、そこに、承認欲求だったり、依存だったり、色々な要素が加わってるんだと思うんだけど。

ただ、自分に無理のない範囲、という線引きの基準をひとつ持っているだけで、自分を制しやすくなると思う。

それを持ってることで、「私が持ってるカードでそれを達成しようと思うと、ここから先は犠牲を払うことになる。私はそうまでしてそれを達成したいのか?」と一度考えられる。その上でどの決断をしたとしても、それでどんな結果になったとしても、納得はできるだろう。

 

私が諦めるって感覚を常に持てているのも、そういう女性を見てきたからなんだろうなと思う。

申し訳ないけど私は多分、元々相容れないタイプの人だから、見ていて引いてしまうこともよくあった。付き合わざるを得なくて、めんどくせえなと思ったことも、かなりある。

だから、こうはなるまい…と思うんだろうな。

あと、私に女性性が強くないのもある気がする。同調圧力とか、周囲と同じであることに安心する、っていうやつ。私がそれをあまり重視してない(気にはなるけど優先順位が最下位)ので、「推し事の出発点は推しに対する感動でありそこに生まれる好きって気持ちなのであって、周りは知らん!」が全ての基盤。なので手軽に諦められる。

 

とにかく、ネットとかSNSで、手軽に色んなことを知れる現代、自分の中に柱を持ってるのは大事なことだと思う。他の人の価値観に遭遇した時、揺らいでしまうから。

個体差がある人間なんだから、出来ることにも個人差がある。それなのに一律してランキング付けをすることも、比較することもおかしい。

だから、「あの人は出来ることでも、私には出来ぬ!!!」と諦めることは必要だと思う。

その感覚を常に持っていることも、とても大切だと思う。

人それぞれ、推しにも周りにも迷惑をかけない範囲で、楽しく推し事をしたいものだね。