日々邁進備忘録

色々こじらせたオタクによる、海馬の容量とシステムエラーのために書き連ねるだけの備忘録。

サマエル:オキソについて

推し主演舞台「サマエル」を観て思ったこと。主に推しが演じるオキソについて。

 

前情報から、私はオキソはキリストかユダのどちらかのポジションだろうと予測してた。

十二使徒+キリストで13人か、十二使徒+ユダのあとに弟子になる人で13人のどちらかかなあ、と。

あと私は化学わからんちんだけど、要するに酸素だよねオキソ。酸素はオキシゲン?だもんな。観にいくにあたって調べたんだけど、酸素の…なんだ、ええと…酸素が含まれる化学式のなんか…アレ、みたいな…

まあとにかく、酸素だから、なくてはならないものという意味でも、これはキリストポジション取って死ぬルートなのでは???っていうのが予測。

凄い化学物質を作り出したって段階で「おっと、これは…?」と思ったし、それに関わるアレコレな話…ってところで、ある程度話の想像も膨らませていた。

 

で、概ね想像通りだった。多分。

私は聖書をかじってる人だけど、聖書にも色々解釈がある中で、私が知る解釈と偏った知識の範囲の話をする。

 

私は、オキソはキリストだと思った。

理由をあげる。

ひとつは、彼は世界の多くの人から見たらとんでもない頭脳を持っていて天才だから。多くの人にとって「何考えてるかわからない存在」で、それは別の目線で別の言い方をすれば、多くの人にとって神あるいは神の子のように感じられると思う。

ひとつは、彼は諭し、導くけど、強制をしないから。彼のいう「幸福の最大化」論は、彼にとって一番正しく、彼の行動の全ての柱にあるし、彼はそれをみんなに話すし、ローレンシウムにさえ説得をする。でも、決して誰にも強制しない。キリスト(というか、聖書で説くところの神の言だけど)も、正しい神の教えを説き、広めるけれども、誰にも強制はしなかった。知った上でそれを選択するかどうかは個人に委ねられた。

 

でも彼は人間だ。

彼にも弱点がある。他の誰にも多分わからなかったけど。

彼は頭が良すぎる研究オタクがために、いじめられた。恐らく、彼は「友達を選ぶ」という、ごく当たり前のことも出来なかったのだと思う。その選択肢そのものがなかったんだと思う。いじめは、それ以前の問題だ。

ここでは、オキソがいじめられた原因は、あまりにも抜きん出すぎた頭脳、と仮定する(それ以外の理由が描かれてると思わなかったから)。

人は、あまりに凄すぎる人を目の当たりにした時、無意識に恐怖を覚える。それによって、無言で離れる人もいれば、攻撃をする人もいれば、あるいは、賞賛を送りながらも理解ができないからと最初から理解するための努力をしない人もいる。

多分、オキソはそういう環境だった。

どのタイミングで出来たのかはわからないけど、友はローレンシウムだけ。

ローレンシウムだけは唯一、恐怖があったのかもしれないけど、オキソにきちんと手を伸ばしてくれた。だからオキソはローレンシウムを友として選んだ。

でもオキソの論でいくならば、それは選んだというより、選ぶ他の選択肢がなかったと思う。だって他の友達がいないから。

そして、ローレンシウムでさえ、オキソの頭脳に、ちゃんとはついてこれなかったのだと思う。

人間が求める相手というのは、「全体的に自分と同程度の人(共感の対象)」、「自分を補ってくれる人」、「自分の全てを受け入れてくれる人」だと思う。

で、大体、友達には「全体的に自分と同程度の人」を選ぶ。いわゆる類友っていうのがこれだと思う。互いに共感しあうことが必要だからだ。で、ここの必須性はめちゃくちゃ高いと思う。自分よりレベルの高い人とずっと付き合っていたら疲れるし、低い人とだとめんどくさくなるから、全体的に同じくらいの人とつるむのは、楽だし共感出来るから楽しい。

そして「自分を補ってくれる人」は、有り体に言えばライバルとか、あるいは特にビジネスパートナーとかだと思う。

「自分の全てを受け入れてくれる人」は、多くの場合、親だ。他に考えられるのは、熱狂的なファンとか、あるいは信者とか。

さて、お察しだろうが、じゃあ唯一の友、ローレンシウムは、どこに類するんだろうか。

恐らく、補ってくれる人だと思う。

つまりオキソには、多くの人に一番必要な「全体的に自分と同程度の人」がいなかった。そしてサマエルを立ち上げてもそれは存在しなかった。

それほど、彼の頭脳が抜きん出ていたということだと思う。

つまり私が言いたいのは、オキソはどうしようもなく孤独であり、そして、彼自身が恐らく自分は一生涯孤独であろうと予測していた、ということ。

 

でも、ローレンシウムはオキソに親愛を向けていて、オキソもそれは(多分)同様だった。ローレンシウムだってオキソを理解しようとしていた。

それでは不十分なのか?

結論から言えば、私は、不十分だと思う。

私も、突出した頭脳の持ち主と共に育ってきた。その人をずっと見ていて、私はそう思う。

周りがどれだけ愛そうが、理解しようと尽くそうが、本人にとって満ち足りる程度に至らなければ、不十分なのだ。

例えば、農耕の難しい痩せた土地で、殆どの人は1日2食食べられれば良い方という環境で、満腹感を感じるためには人の倍食べなければならない人がいるとしよう。

他の人が、その人のために、自分の食べる分を一口ずつ減らしてその人に差し出したとして。

それはとても素晴らしいことだ。その行いそのものには、そのたくさん食べる人も、心から感謝するだろう。

でも、結局のところその人にとって満腹感を感じられる量に至らないなら、その人は満ち足りない。飢えがマシになるかどうか、でしかない。

つまりオキソが求めていたのは、オキソの心が必要とするだけの「全体的に自分と同程度の人たち」だった。

しかしそれは、少なくとも彼の目に入る範囲にはいなかった。

サマエルを設立して凄い人達を引き込んで尚、いなかったのだ。となれば、それは叶わない夢と同じだ。

そしてそれは、孤独ということだ。だって誰も理解してくれないのだ。類友がいないのだ。

それはめちゃくちゃ孤独だ。どれだけ親愛や理解を尽くしてくれる人がいたとしても。

 

私が思うに、オキソにとって彼の頭脳は、唯一の切り札でありながら、孤独の種でもあったのだと思う。

長所であると同時に、弱点だったのだと思う。

 

そして彼はメサイアを生み出した。

それは彼の「選ぶことも出来なかった」歩みから生まれたものだ。全ての人が、自分の意思で、誰にも強制されずに選択をすること。そして、その選択のための選択肢があること。彼はそのためにメサイアを生み出した。

メサイアを生み出したことは、彼にとって、彼の中にある一番大きな柱の「理論」に基づいていると思う。

では逆に、サマエル創設の理由はなんだろう。

彼はメサイアを作っている段階で、これが完成したらサマエルを組織することを考えていた。ローレンシウムにはなんか色々と、もっともらしい理由を述べているように見せてたんだけど、ローレンシウムには「意味不明だ」とばっさり言われていた。実際、革命とかなんとかかんとか、超絶理論派が話すとは思えない、感覚的な言葉だったと記憶している。

あの超絶理論派のオキソが、「何がどう革命を起こしどうなるのか」みたいな説明も、可能性を論じることもせずに、曖昧とも言える感覚的な言葉で語った、サマエル創設の理由を、私は「感情に根ざしているから」と憶測している。

感情に根ざしているってどういうことか、というと。

オキソが抱えている孤独が先述したようなタイプのものならば、彼はそれを埋めたいと思うだろうが、同時に、彼の頭脳ならそれが殆ど不可能であることも理解していると思う。

でもメサイアを世に出せば、ありとあらゆる人が欲しがる。沢山の、様々な分野の実業家たち、政治家、国家さえも手を伸ばすだろう。つまり、様々なプロがメサイアに集うということ。メサイアに集うということは、それを生み出したオキソの元に集うも同義と言える。

様々なプロは、オキソと完全同位体にはなり得なくても、部分的に同位体にはなり得る。

簡単に言えば、悲しい時には悲しさの理解の比重が大きい人、楽しい時には楽しさの理解の比重が大きい人…という具合に、その瞬間ごとに自分の心が欲するものを提供してくれる人を選べば良い、と考えたんじゃないか。

だってオキソと一対一の完全同位体は、殆ど存在し得ないものなわけだから。

そういう風にすれば、「自分は孤独から抜け出せる」。それは感情以外のなにものでもない。

これが、「感情に根ざした」サマエルの創設の理由なんじゃないか、と私は思う。

 

フェノールは「利用」、ベンゼンは「孤独」、ウランは「興味」、ガンマは「創作者」といったような具合に、オキソにとって共感を得られる特徴、役割がそれぞれにあるんじゃないかなあと、私は思っている。これはまた今度時間があったら記事にしたいな…。

 

ちなみに、それでいくとローレンシウムはストッパーという補い手じゃないかな。

オキソは研究やその成果、哲学に夢中になると、倫理とか道徳とかって呼ばれるような概念とオサラバしてしまうと思う。

でもローレンシウムは、主体性はあまりないけど、そこを大事にする、めちゃくちゃ良い人だと思う。

会社のトップは、そりゃ消費者のことを第一に考えられる人じゃないと。ってオキソは思ったんだと思うし、自然にそれができる人だからローレンシウムをトップに置いたんだと思う。

自分は研究とか、あるいは交渉とか、成果をあげる分野が得意だから。でもそれに熱を上げすぎると、顧客とか消費者、つまり市民のことを考えなくなるから。ねじ曲がった、っていうのはそういうことじゃないかな。それを自分で理解してるんだと思う、オキソは。

ローレンシウムは、道徳とか倫理とかそういう面が抜けがちなオキソのストッパー、あるいは補い手なんだと思う。

 

あと、オキソは「いじめてきた奴らの鼻を明かしてやろう」と息巻くけど、多分それも行動の理由にあるんだろうけど、多分それはそんなに大きくない。

大きいのは、科学者としての使命。これはオキソの理論の部分で、「安全で利便性の高い新しいもの」を作ることじゃないかと。これにおける理論は、才能ある人がその才能を大いに活用するのは当然のことだ、ってところじゃないだろうか。ガンマに映画を依頼した理由も「その筋で最も優れた人にお願いするべき」と言っているし。

もうひとつ大きいのは、先述した孤独を埋めること。これはオキソ自身の感情の部分。

で、いじめてきた奴らに関しては、確かにオキソの才能の産物であるメサイアを使えば鼻を明かせるんだけど、そもそもの問題はいじめてきた奴ら自身の人間性なので、オキソ自身の問題じゃない。メサイアを作ればそれは自動的に果たせるので、どちらにしても通る道だから、確信を持って息巻くけど、主な目的じゃないと思う。ついでじゃないかな。

 

そんな感じで、オキソはメサイアが完成した時、それまで空想でしかなかった展望が実現できると考えた。空想でしかなかった展望というのは、サマエルを創設し要人と関係を持ち孤独を埋めること。

だからあの完成した瞬間、彼の生涯のシナリオが一旦最後まで描かれたんだと思う。

で、フェノール・ベンゼン・クロリド・コバルトがやってくる直前、彼は数秒ひとりになり、歌を口ずさみながら部屋を整える。

この時に、生涯のシナリオを少し書き足したんだと思う。この時点で想定できるいくつかの可能性も付け加えたんだろうし(その可能性に健康被害が起こることが含まれてるのかは不明)。

が、健康被害が出た時のくだり。

調査書を待ってる時、オキソは多分、考えられる可能性を全て挙げ、全てに対処を考えていた。つまり改ざんのことも、改ざんするならどう発表するかも、そのあとどうなるかも、想像していたんだろう。彼の中では改ざんが最有力候補だったけど、恐らく、ローレンシウムが反対するだろうことも想像はしてた。ローレンシウムが反対したら何て説得するか、説得出来なければどうするか、そういうことも考えてたんだろう。つまり可能性を一つに絞らずに。

セシウムが調査書を持ってきて、オキソが改ざんを提案し、ローレンシウムと言い合って、ローレンシウムが出て行ってクロムが後を追ってセシウムが退場して。

数秒、彼はひとりになる。歌を口ずさむ。

あの瞬間、彼はメサイアが完成した時に描いたシナリオを、全て書き直した。そして、決定した。

そのあと、クロリドとコバルトに「これを飲まなかったらメサイアの軍事利用はやめる」と添えて出した要求が、刑務所での流れのことだったはずだ。

 

オキソがどうして死を選んだのか。

私は、彼の価値観の中では、それが彼の取るべき責任とその重さだと思ったからだ、と思う。

そもそも、彼の責任は、大きく2つある。

サマエルのメンバーはそれぞれが、コバルトの言葉を借りると「選択する権利があると同時に選択には責任が伴う」ことを理解しなければならない。そして、その責任を各々がどう取るのかを、主体的に考えるようにしなければならない。それが、刑務所でオキソが皆に伝えたかったことであり、オキソが導きたかった地点だと思う。実際メンバーは皆、メサイアを作り出したオキソ、あるいはユグドラシル社の社長のローレンシウムに全ての責任を押し付けようとしていた。しかしアルキンにはメサイアを導入することを決定した責任があり、カルボンにはメサイア事業に出資することを決めた責任がある、という具合に、全員に選択の責任がある。全員、それを考え、今後の行動を決めなければならない。

サマエルのメンバーをそう導くことは、「サマエルの創設者であるオキソ」の責任だ。

ひとつめの責任がこれだ。

刑務所のシーンでオキソが泣いていたのもこれじゃないかな。つまり、オキソはサマエルの創設者として全員に選択の責任を理解させなきゃいけないと考えていて、それを説くためにあえてリストを政府に流し刑務所に拘留するように流れを作った。刑務所に集めたのは、サマエルは秘密組織だからこんな状態で集合なんて出来ないし、そもそもこうなった以上サマエルは事実上の解散とオキソは決めていただろうし、ただ一堂に会して話し合うだけよりも極限状態にした方が本音で話すから。それから、刑務所という場所で罪を意識させるためでもあると思う。つまりあらゆる意味でそれが都合が良かった。

で、そこでオキソはサマエルの創設者として、みんなに選択の責任を説かなきゃいけないけど、それをちゃんとみんながわかってくれるかの確証はない。

そんな中、ちゃんとみんなが理解して、意識して、考えるようになったから「伝わったんだな、これでもう大丈夫だな」って思って泣いたのかな…と思う。

そしてもうひとつの責任は「メサイアを作り出したオキソ」の責任だと思う。

メサイアが作り出されていなければ、アルキンが仲間を失うことも、ベンゼンの顧客が倒れることもなかった。メサイアという選択肢そのものが、確実に存在しなかったからだ。

オキソはメサイアの毒性に気付いていなかった。あるいは、気付いていても気付かないふりをした。これはセシウムが言う通り、どちらも証明できていないし、これを証明することは然程大事なことじゃない。いずれにしても、「一定の条件に限り毒性が発生する」ことが、一般市民への提供を開始したあとに判明した段階で、それは作り出した人の過失だ。大事なのは、それだ。新しいものを生み出す人は、もっと慎重に、念には念を、と行動しなきゃいけない。

そしてそれは、選択に伴う責任よりも、もっと根本的な責任で、もっと大きな重さだと思う。

となれば、サマエルのメンバーが、選択に伴う責任を取るためにそれぞれの実現できる罪滅ぼしをするならば、オキソがすべき罪滅ぼしは、その誰よりも大きく、重いものでなければならない、とオキソは考えたんじゃないだろうか。

作ったのも、ばら撒かせたのもオキソだ。オキソと同程度もの頭脳を持った人は他にいないし、それをオキソはよく知っているのだから、他ならぬオキソが完全にメサイアの把握を出来ていなきゃいけなかった。でも彼は、メサイアの中・長期的継続使用によって起こる健康被害のことまで思い至っていなかった。それが、メサイアによって埋められる自分の孤独感や寂しさのために、毒性がある可能性がありながら見て見ぬ振りやあえて検証を怠るという、故意であろうが。あるいは、蓄積による健康被害の前例がこれまでなかったがために全く思い至らなかったのであろうが。どちらであれ、作った人の過失であることに変わりはないし、どちらであれ、人為的公害であることにも変わりがない。

聖書には、罪の報いは死である、と書かれている。

オキソは、「作った人」だ。一般市民のように、作られたものの中から選択した、というわけじゃない。作り出した人だ。ある意味で、神のようなものだ。少なくとも、これまで存在しなかった物質を作り出したという意味では、創作者と言える。

彼が作ったメサイアによって、多くの人の選択肢が増えた。でも、その選択によって沢山の人に被害が及んだ。殺すつもりがあったにせよ、なかったにせよ、人殺しは罪だ。

結果的に罪を生む選択肢を広げてしまったのはオキソだ。サマエルのメンバーは、オキソが作った選択肢を選択した罪と責任を背負うべきだけど、オキソは、罪を生む選択肢を作ったから、一番大きい償いをしなきゃいけない。

創世記において、最初の人間が神の言いつけを破り知識の木の実を食べたことが、人間の罪の始まりと書かれている。その罪を犯したことで、最初の人間は、本来完全で死など訪れないはずだったのが、死が必ず訪れるようになった。

それは、最初の人間が罪を犯した報いに他ならない。

オキソは、罪滅ぼしとして、それを自ら選択した、ということだ。彼が受けられる最大の報いは死だと考えたんだと思う。

 

彼は、孤独な悪魔、と歌っている。

創世記には、最初の人間が罪を犯したのは、悪魔(=蛇)にそそのかされたためだ、と書いてある。

つまり、オキソの中にいた孤独という悪魔が、本来の研究者の使命と正義と責任である「安全で利便性の高い新しいものの発明」の中の「安全」の部分に対する意識を濁らせた。故意かどうか、知っていたかどうか以前に、そもそも完全じゃない人間がやっていることにも関わらず、自分の安全性に対する検証が完全だと思う時点で、それは傲慢だし、慎重じゃない。

でも慎重に、念には念を、と安全に心を砕けば、メサイアの発表は遅くなるだろうし、そうすればサマエルの創設も、つまりはオキソの孤独が解消されるのも、どんどん先になってしまう。

悪魔は「お前の検証は完全だから、メサイアを早く発表して、サマエルを創設すれば良い」とそそのかしたんだと思う。オキソにとって、サマエルを設立し様々な分野の専門家と関わりを持つことは、最初の人間にとっての知識の木の実と同じだったんじゃないだろうか。めちゃくちゃ美味しそうで、食べてみたくて仕方がない、渇望のようなものを感じる知識の木の実と。

でもローレンシウムは、軍事利用の段階で疑問を持ったり、オキソに説得されたにせよ反対をしていた。ローレンシウムは、メサイアを明らかに人為的に命を奪うとわかっているものに利用するのは嫌だったんだと思う。それではメサイアは救世主じゃなくてサタンになってしまう。メサイアは人々の救世主であるべきだ。それに何より、ローレンシウムは無作為に人の命を奪うもの自体が嫌なんだろう。戦争だろうが公害だろうが。それは彼の道徳がとてもしっかりしているからだと思う。ローレンシウムは人のことを第一に考える優しい人だ。そのローレンシウムが、疑問を持ったり反対したりした。

つまりオキソは、シナリオを書きなおすきっかけを、受け取ろうと思えば受け取れる環境にいた。正しい方に修正するための材料はあったってことだ。でもオキソは受け取らなかった、材料を使わなかった。また孤独になるから。

だから彼は孤独な悪魔だと、「どうか君がこっちにこないように」、「受け取れなくてごめん」と歌ったんだと思う。

 

また、少し前に「彼は全ての可能性を上げ全てに対処を考えていたと思う。可能性をひとつに絞らずに」と書いた。

多分オキソはそれができると思う。天才とまで言われるような化学者だから。化学とか、つまりは理論全般だけど、その分野の人はあらゆる可能性を上げて論じて…っていうのを日常的にやっていると思うから。逆に、そうした沢山の視野をもって物事を考えられないと、天才的な化学者には至らないと思う。

でも、それが出来るなら、メサイアを中・長期的に使用した時に健康被害が起こる可能性について、考えた可能性もあるんじゃないか。その点の検証もするものなのではないか。そう思う人もいると思う。そして、だとしたらオキソの行動や考えに矛盾があるとも考えられると思う。

作中ではそれらの点について明確には描かれていなかった。だからオキソが気付いていたのか、考えたことがあるのか、全く思い至っていなかったのか、わからない。

だけど明らかなのは、オキソは人間であること。どれだけ神がかった頭脳があろうがなんだろうが、オキソも人間だから、感情があるし、人間誰しも感情はとても大切だし、そして影響力が大きい。

オキソは孤独を埋めたかった。その感情が、彼の頭脳に一切の影響を及ぼさなかった、と言い切ることは、果たして出来るだろうか。

もしかしたら、メサイアの誕生によって自分が長年望んでいた孤独からの解放が実現するかもしれない。そう思った時、その感情に突き動かされて、検証の手を抜いたり、あるいは怠ったり、それこそ改ざんしたりしたかもしれない。ローレンシウムにさえバレない程度にいじれば、他の誰にも気付かれないのだから。

感情が動けば、人は平気で矛盾した行動も発言もするものだ。

オキソにとって、孤独は、悪魔のようなものだったのだから、それにメサイアを利用することを考えている段階で、不都合から目を背ける可能性だってある。

だからオキソに矛盾があるのならば、むしろそれは自然なことだと私は思う。

 

そんなわけで、私は、オキソはめっちゃキリストポジションだけど、キリストとは違って人間の面があって、悪魔を飼ってて、それに抗えないのが、めちゃくちゃ人間ぽいなあーーーと思ったし、好き。

そして、こういうタイプの人を演じる説得力が凄くて、推しって凄い…って改めて思った。

あくまで私の中でのオキソの解釈では、って話だけど、もーーーめちゃくちゃ似てる人と育ってきたから、「あっ…」ってなりまくった。

カルボンとウランとガンマが訪ねてきてるシーン、他愛もない話の間は、オキソは片手間に聞きながらずっと自分の内面と向き合ってるような感じだったし、商談を取りまとめる時のスマートさたるやあまりに無駄がなくてとんでもない頭の回転だったし、調査書を待つ間の目がやばかった。あの待ってる間の目、「飛んでるな…」って感じが凄く凄かった。全部において、完全に自己完結してる。自己完結っぷりがめちゃくちゃ出てたから説得力あるなーって思った。

あとオキソだけは常に黒い椅子に座るんですよねーそういうところ!!!!!!

あとローレンシウム相手に限り、ライトセーバー出してみたり「とりみだしお」とか言ってみたり、なんていうか…こういうくくりは良くないのかもしれないけど、オタクあるあるのノリというか…わかる〜〜〜!!!って感じ。

 

はあーーーオキソについてだけで約1万文字ですって。やばい。

サマエルそのものの世界観とか、登場人物のこととか…まだ色々あるんだけど、また時間があったらにしよう。

誰のためでもない

日記もブログも続かないタイプなんだけど、なんかガーッと思ったり考えたりした時に、それを吐き出せる場がないと辛いのも事実なので、自分を吐き出すために開設してみた。

自分を戒めるためにも先に約束をしようと思う。

 

・自分の中にあるものや生まれたものを吐き出すためではあるが、それを免罪符に誰かを傷つけることを良しとしない

・書きたいものがある時にガーッと書くためのものであり、定期の更新を義務付けない

 

自由と責任を履き違えないこと。ただし、自分で自分を不必要に縛り付けないこと。

配慮ある自由をモットーにやろう。

 

 

残念ながら人の記憶の容量には限りがあるから、暫くすると考えたことも感じたことも知識も薄れていく。

仕方のないことだけど、それが辛くなることがある。

あと、私は理論的に考えるのが苦手すぎて、感情先行型なので、理論的に考えられなかったり、考えてるうちに混乱したり、それでも一度結論を出したのに感情と向き合ってるうちにすり替わったり…みたいなシステムエラーが起こることがある。

だから自分のために備忘録としてなんか好きに書いていけたらいいなあ。